2009-01-01から1年間の記事一覧

ヤマロ・ネネツ族Yamalo-Nenets(22)

青森県から出土されている遮光器土偶のマスクと同じ紫外線避け遮光器。円形で縦型に覗き溝のある遮光器もある。半年以上も夜が続き、闇夜にすっかり目が慣れると、太陽が出始める季節に雪原が見えなくなる。その時にも着用している。青森県と東北一帯、日本…

KAL007便生存者存命の可能性(21)

CI120中華航空機炎上Video那覇空港1997年 この状態であれば、燃料タンクが爆発した後でも乗員乗客は怪我が無ければ脱出する事ができる。燃料タンクの爆発は、ボワンとした爆発だった。非常口を開けると脱出用シューターが窒素ガスによって自動的に膨らみ降り…

JAL123 航空機事故を参考(20)

航空機事故の機内状況が、その生存者によって記録として知らされる事は少ない。航空機事故の現実は下記のようであった。 日本航空123便墜落事故 1985年8月12日午後6時56分 高度7,200m 死亡520人 生存4人 墜落地点:群馬県多野郡上野村御巣鷹の尾根 JAL ボー…

国連裁判で「意図された領空侵犯」の判決理由(19)

国連裁判で「意図された領空侵犯」の判決理由 KAL007コクピットのミサイル攻撃される前の会話で「Thank you out.」と言った人は誰か。そしてその意味は何か。「ありがとう、アウト。」の意味があるが30年間引っ掛かりがあり、捕まった意味か、終わりだの意味…

精神矯正収容所と精神医療(18)

北極海に面した北方シベリアでは,古来からシャーマンの宗教的儀式にイボテン酸を含むベニテングタケ又はテングタケが用いられていた。それは精神に作用する薬物LSDで、微量であれば心地良さがあり、少し多くなると幻覚作用ある。 LSDは、1953年にカナダで開…

ラリー・マクドナルド議員の運命(17)

ローレンス・ラリー・パットン・マクドナルド議員の消息 Lawrence Larry Patton McDonald 1983/His face-photo on News paper 1983/From the video scene of①Chukotka EALAT Info,March 2008(元合衆国の乗客)1985~1990年 ②民間人捕虜たちを載せた?トラッ…

アブラハム・シフリンの再調査-2(16)

<ソビエト連邦の刑務所、精神犯、強制労働集中キャンプの調査センター> ディレクター:A.シフリン (プレスリリース) 1989年、私たちの調査センターは、1983年9月1日にアラスカのアンカレッジからソウルに飛ぶKAL007大韓航空のボーイング747が日本海でソ…

アブラハム・シフリンの再調査-1(15)

1993年まで、KAL007の乗員乗客は全員死亡とロシア共和国大統領ボリス・エリツィンによって宣告されていたが、アブラハム・シフリンはKAL007便の生存者がいる事を告発した。シフリンの話によれば、乗客はKGBによって捕らえられ、荷物と一緒に矯正収容所へ連れ…

KAL007事故後の遺体処置(14)

ロシア海軍と日本の遺族による残骸掘り起こし1993年 捕虜収容所日本人墓地2007年8月1日 戦時下における特殊法令の場合、機内に残っていた乗員乗客の部分遺体は、9月4日から6日、青シートに包み、クレーンでKAL機内から引き揚げ、モネロン島北側の山の麓で火…

ロマネンコ将軍と乗員乗客の靴(13)

Floating on water after the crashing of aircraft ◆「その飛行機は、ソビエト領海のモネロン島付近まで引かれて行き、故意にソビエト領海内の浅瀬に沈められた」。ヘリコプターのパイロットとして9月5日から臨時雇用されたロシア民間人の目撃談。 「CIA報…

バディム・コンドラバエブの報告(12)

海底の航空機ウィング 1983年9月10日の夜、私はノルウェー海流が影響する北極圏のバレンツ海で、他のダイバーたちとダイビングの仕事に取り組んでいました。そうしたら航空母艦が接近して来て、16人のダイバーたちと一緒に、直ちにタタール海の事故現場まで…

KAL007海底からの引き上げと目撃談の日付け(11)

那覇空港チャイナ便の燃料タンクから出火。乗員乗客の避難に1分かからなかった(20秒程度)。 ◆「しかし、ボーイングに火事はありませんでした。それは確かです。 全てがケロシンでびしょびしょに浸されていましたが、機体はそのままの完全な状態でした」 KA…

ブラックボックス・CVRボイステープの信用性(10)

Black-box:航空機用ブラック・ボックスは、目立たないように工夫され、最大400時間以上収録する事ができる物もある(航空機用は現在2時間以上)。奥がコクピット・ボイス・レコーダーCVR、真中がフライト・レコーダーFDR KAL007後部化粧室の上に設置されて…

KAL007_コクピット会話Ⅱ(9)

Boeing747-230B 下の機器がINS機長 チュン・ビュン・イン Chun Byung-In 千炳寅 副操縦士ソン・ドン・フイ Son Don-Fui 航空機関士キム・ユイ・ドン Kim Yui-Don <グリニッジ標準時間GMT18:00:00 日本時間JST03:00:00> 18:15:52 聞き取れる程度の音でモー…

KAL007_コクピット会話Ⅰ(8)

Boeing747-230B コクピット <3:15:52-3:27:46a.m. 1st Septmber 1983> 機長チュン・ビュン・イン Chun Byung-In 千炳寅 副操縦士ソン・ドン・フイ Son Don-Fui 航空機関士キム・ユイ・ドン Kim Yui-Don 03:01:03 Kim 「人はこのように生きなければなりませ…

綾里大気環境観測所(7)

Korean Air Linesの航路上空/綾里崎から牡鹿半島。右側:大気環境観測所 大船渡市綾里崎に気象ロケット観測所(現在:大気環境観測所)があり、その観測所では、1976年ごろから70km上空まで気象ロケットを打ち上げ、対流圏(0〜11km)・電離層(20〜25km)・…

貨物とトランク・乗員乗客はどこに(6)

◆「遺品と一緒に遺体はすべて火葬した」 火葬した場所は、サハリンの町であれば地元住民による目撃者がでる。ソ連海軍兵で占められているモネロン島北側の浜であれば、浜から少し上がった草木林の中に簡易焼却炉を造り、まとめて燃やした方が人目に付かない…

KAL007事故後の作業(5)

ボーイング747の離陸<KAL007フライト事故情況の真実> ブラックボックスのテープ内容からKAL007事故情況の事実がはっきりする。 9月1日3時00分 3人のパイロットたちは既に起きていた。「秋には1日休んでソラク山へ紅葉でも見に行きたいなあー」と、英語で雑…

KAL007事故後の作業(4)

KAL007機内に残された特定できる遺体を運んだ後、時期としては9月14日の夜、ダイバーたちが休んでいる間に原子力潜水艦の魚雷を形のある機体に数発射ち、残された遺体ごと粉砕した。1回目の破壊は、機首と胴体の2ヵ所を壊し、海底に機体半分が直立していた。…

KAL007事故後の作業(3)

ミハイル・ミルチンク号(The Mikhail Merchink)はモネロン島北26kmの所でKAL007の回収作業をしていたのは事実として記録されている。潜水艇2隻とダイバーたちによって19箇所で潜水作業を行っていた。スウェーデン製石油掘削船ミルチンク号は、KAL007が撃墜…

KAL007事故後の作業(2)

ソ連側から出動した救助隊ヘリコプターと同機種Mi-8 1991年ソ連新聞イズベスチア調査取材によるオブザーバー(観察者)の話で、「事故現場の天候はほとんど晴れ、くっきりした空、青色の緑色の水域、嵐なしの秋だった」とある。天気は事故当日、1日目は曇り…

KAL007事故後の作業(1)

2024年5月20日KAL007乗客遺族 解決の糸口 Boeing 747の着陸 2024年6月改正版 最新記事追加(37) 1983年9月1日、サハリン西側モネロン島北方26kmの海上でKAL007が爆発した夜明け前のJST3時45分ごろ、その付近の海上にいた一隻のボートが走り出した。ボーイン…

ソ連参謀総長オガルコフ元帥の演説(36)

1983年9月9日 モスクワ記者会見 「ソ連参謀総長オガルコフ元帥の領空侵犯機に対する演説」1. 本年、9月1日夜、ソ連極東において、米特務機関によって行われた挑発の本質、及びこれに関連するソ連防空軍機関の行動の性格は、9月6日付ソ連政府声明、及びその前…

カメンスキー中将(ソコル防空軍コルヌコフ司令官の上司)(37)

「カメンスキー中将インタビュー2001年」 1983年春、アメリカ海軍USSミッドウェイは千島列島に近づき、その航空機はソビエト国境を越えてソビエト領空に深く入り込んだことがありました。その時、ソビエト防空戦闘機は濃霧のために飛行場からスクランブルで…

1983年8月31日の気象状況(38)

<静止衛星Himawari2/GMS-2による画像-夜間用赤外線カメラ> UTC1983.08.31.12:00 JST1983.08.31.21:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.08.31.16:00 JST1983.09.01.00:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.08.31.19:00 JST1983.09.01.03:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.8.31.1…

ミハイル・ギルス機長_ 海の底のKAL007残骸と乗客(39)

ミハイル・ギルス機長と本人が設計した2人乗り調査潜水艇チンロ2/Unsolved history KAL007 KAL007が爆発した1983年9月1日、6隻のソ連海軍艦艇と1日平均32隻のソ連船が事故現場領海付近に出動していた。ソ連以外の国々の船からは、KAL007の事故の規模と状態が…

アナトリ・コルヌコフ極東司令官(40)

ソ連防空軍側で公表した文書(1993年ICAO報告書)によると、Su-15TMのミサイルが命中した後、GMT世界標準時間18時28分(日本時間3時28分)、その標的KAL007は北へ向かった。ソ連側には「撃墜した」と知らされていたターゲットがレーダーにまだ映っていたので、…

KAL007の爆発と千鳥丸(41)

夜明け前にモネロン島北25km〜30km、サハリン西沿岸から約50km沖で操業していたイカ釣船第58千鳥丸(Chidori-maru)は、ボーイング機が、モネロン島(海馬島)北側沖(北緯46度35分、東経141度20分付近)で爆発した所を目撃していた。 第58千鳥丸乗り組員は、…

KAL007事故原因(42)

1983年8月31日、アンカレッジ空港は夕方から夜にかけて曇り。アンカレッジの過去のお天気データーでは、だいたい曇り。 JST:1983.9.1.3時10分00秒 観測地点北海道-青森:半月,下弦の月,月齢22.952,輝面比46.936% UTC1983.08.31.16:00,JST1983.09.01.00:00,Him…

落下したKAL007の乗員乗客(43)

UTC:1983.8.31.18:00 JST:1983.9.1.3:00 Himawari2 赤外線天気図で白い雲は霧を伴っていた。ソコル基地は3時前から霧だった。 1983年9月1日は、タタール海モネロン島北側上空に周りより厚い雲が約50kmの幅でシベリアから北海道北側(北東から南西)へ流れて…