2009-01-01から1年間の記事一覧

ヤマロ・ネネツ族Yamalo-Nenets

ヤマロ・ネネツ族Yamalo-Nenets 青森県から出土されている遮光器土偶のマスクと同じ紫外線避け遮光器。円形で縦型に覗き溝のある遮光器もある。半年以上も夜が続き、闇夜にすっかり目が慣れると、太陽が出始める季節に雪原が見えなくなる。その時にも着用し…

KAL007便生存者存命の可能性

KAL007便生存者存命の可能性 →ENGLISH CI120中華航空機炎上Video那覇空港1997年 Open this video from Japanese version please この状態であれば、燃料タンクが爆発した後でも乗員乗客は怪我が無ければ脱出する事ができる。燃料タンクの爆発は、ボワンとし…

JAL123 航空機事故の比較

JAL123 航空機事故の比較 Automatic English translation 参考ビデオ:JAL123 01 02 航空機事故の機内状況が、その生存者によって記録として知らされる事は少ない。航空機事故の現実は下記のようであった。 日本航空123便墜落事故 1985年8月12日午後6時56分 …

オゾンホールと地球温暖化

オゾンホールと地球温暖化 [ ] Tarctic and Antarctic records by Canada Ozon Maps 2009-10-15 南極のオゾンホールは黄緑色の部分で、時間ごとに形状と穴の大きさが拡大縮小、時には2つ3つに分離し、揺らぐように変化している。南極の場合、オゾンホールの…

精神矯正収容所と精神医療剤

精神矯正収容所と精神医療剤 北極海に面した北方シベリアでは古来からシャーマンの宗教的儀式にイボテン酸を含むベニテングタケが用いられていた。それは精神に作用する薬物LSDで、微量であれば心地良さがあり、少し多くなると幻覚作用ある。 LSDは、1953年…

ラリー・マクドナルド議員の運命

ラリー・マクドナルド議員の運命 JAPANESE→ENGLISH シフリンのリサーチ情報によれば、米国民主党下院議員マクドナルは、1983年9月8日、ソブガバン基地から飛行機でハバロスク経由でモスクワへ輸送された。モスクワ市内のKGB監獄ルボヤンカで尋問を受けた後、…

アブラハム・シフリンの再調査(2)

アブラハム・シフリンの再調査(2) アブラハム・シフリンとリサーチセンターの情報 KAL007で生き残った乗員乗客が救出された結果、サハリンKGB基地へ連行されたとシフリンは断定している。1983年9月4日までサハリン対岸のシベリヤ本土ソビエツカヤ・ガバンK…

アブラハム・シフリンの再調査(1)

アブラハム・シフリンの再調査(1) 1993年まで、KAL007の乗員乗客は全員死亡とロシア共和国大統領ボリス・エリツィンによって宣告されていたが、アブラハム・シフリンはKAL007便の生存者がいる事を告発した。シフリンの話によれば、乗客はKGBによって捕らえ…

KAL007事故後の遺体処置推理

KAL007事故後の遺体処置推理 捕虜収容所日本人墓地 2007年8月1日 機内天井で溺死していた人々は、最初、ユジノサハリンスクの総合病院にヘリコプターで運ばれた。 戦時下における特殊法令の場合、機内に残っていた乗員乗客の部分遺体は、9月1日から6日以内に…

ロマネンコ将軍と乗員乗客の靴

ロマネンコ将軍と乗員乗客の靴 Floating on water after the crashing of aircraft 「CIA報告」米国共和党局員によるCIAへの報告書草稿 スミルニク空軍基地戦闘機師団長代理ノボセレツキー中佐は、日の出時刻30分前に救助ヘリコプターMi8を墜落地点付近へ送…

バディム・コンドラバエブの報告

バディム・コンドラバエブの報告 海底の航空機フレームとフロアー 1983年9月10日の夜、私は他のダイバーたちとバレンツ海で救助艇とダイビングの仕事に取り組んでいました。そうしたら航空母艦が接近してきて、16人のダイバーたちと一緒に、直ちにタタール海…

消えた乗員乗客の謎の解明

消えた乗員乗客の謎の解明 燃料タンク内のガスが噴出して燃えている墜落飛行機 "But there was no fire in the Boeing - that is for sure. Things ware intact, although all thoroughly saturated with kerosene" Izvestia 6 February 1991. 「しかし、ボ…

コクピット・ボイステープの信用性

コクピット・ボイステープの信用性 Black-box:航空機用ブラック・ボックスは、目立たないように工夫され、最大400時間以上収録する事ができる物もある(航空機用は2時間以上)。奥がコクピット・ボイス・レコーダー、真中がフライト・レコーダー KAL007操舵…

KAL007_コクピット会話2

KAL007最後の機内会話(2) Boeing747-230 <3:15:52-3:27:46a.m. 1st Septmber 1983> 機長 チュン・ビュン・イン Chun Byung-In 千炳寅 副操縦士ソン・ドン・フイ Son Don-Fui 航空機関士キム・ユイ・ドン Kim Yui-Don <グリニッジ標準時間GMT18:00:00 日…

KAL007_コクピット会話1

KAL007最後の機内会話(1) Boeing747-230 <3:15:52-3:27:46a.m. 1st Septmber 1983> 機長 チュン・ビュン・イン Chun Byung-In 千炳寅 副操縦士ソン・ドン・フイ Son Don-Fui 航空機関士キム・ユイ・ドン Kim Yui-Don JST FROM 会話内容と機内放送 03:00:…

綾里大気環境観測所

綾里大気環境観測所 Automatic English translation Korean Air Linesの航路上空/綾里崎から牡鹿半島。右側:大気環境観測所 大船渡市綾里崎に気象ロケット観測所(現在:大気環境観測所)があり、その観測所では、1976年ごろから70km上空まで気象ロケットを…

貨物とトランクは何処に

貨物とトランクは何処に Boeing 747-400F 海底に沈んだKAL007の残骸付近には、貨物室にあったコンテナとその中の多くの荷物や郵便物、450個の乗客のトランクも無く、機内座席に運ばれた荷物しか残っていなかった。 機長の判断としては、貴重品と起爆物が積ま…

KAL007事故後の作業(5)

KAL007事故後の作業(その5) ボーイング747-300の離陸 <KAL007フライト事故情況の真実> ブラックボックスのテープ内容からKAL007事故情況の事実がはっきりする。 9月1日3時00分 3人のパイロットたちは既に起きていた。「秋には1日休んでソラク山へ紅葉で…

KAL007事故後の作業(4)

KAL007事故後の作業(その4) ボーイング機の機体下部の破片は流されずに海底に沈み、細かな肉片や軽い荷物は潮流に流されるため、1時間2時間すると何キロメートルも離れ、場所が別々になる事は明らかだった。 KAL007機内に残された特定できる遺体を運んだ後…

KAL007事故後の作業(3)

KAL007事故後の作業(その3) ミハイル・ミルチンク号(The Mikhail Merchink)はモネロン島北26kmの所でKAL007の回収作業をしていたのは事実として記録されている。潜水艇2隻とダイバーたちによって19箇所で潜水作業を行っていた。スウェーデン製石油掘削船…

KAL007事故後の作業(2)

KAL007事故後の作業(その2) ソ連側から出動した救助隊ヘリコプターと同機種Mi-8 1991年ソ連新聞イズベスチア調査取材によるオブザーバー(観察者)の話で、「事故現場の天候はほとんど晴れ、くっきりした空、青色の緑色の水域、嵐なしの秋だった」とある。…

KAL007事故後の作業(1)

KAL007事故後の作業(その1) サハリン西側モネロン島北方26kmの海上でKAL007が大爆発した夜明け前のJST3時45分ごろ、その付近の海上にいた一隻のボートが走り出した。ボーイングの低空飛行とその海上爆発を目撃していたひとりのロシア人男性だった。爆発を…

KAL007完全に破壊された理由

KAL007完全に破壊された理由 MONERON ISLAND MAP:KAL007 explosion spot 46"27N, 141-13E, present spot 141-20E,46"35N KAL007の機体は、モネロン島北方約24kmの海底から引き上げられ、ほぼ完全な状態で海面に浮かばせたられた。それを韓国・米国・日本を…

落下した乗員乗客KAL007

落下した乗員乗客KAL007 UTC:1983.8.31.18:00 JST:1983.9.1.3:00 Himawari2 1983年9月1日は、タタール海モネロン島北側上空に周りより厚い雲が約50kmの幅でシベリアから北海道北側(北東から南西)へ流れていた。モネロン島北側上空の雲は、4,000mから500m。…

1983年8月31日の気象状況

1983年8月31日の気象状況 <静止衛星Himawari2/GMS-2による画像> UTC1983.08.31.12:00 JST1983.08.31.21:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.08.31.16:00 JST1983.09.01.00:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.08.31.19:00 JST1983.09.01.03:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.8…

海の底のKAL007残骸と乗客

海の底のKAL007残骸と乗客 KAL007が爆発した1983年9月1日、6隻のソ連海軍艦艇と1日平均32隻のソ連船が事故現場領海付近に出動していた。ソ連以外の国々の船からは、KAL007の事故の規模と状態が解らず、様々な未確認情報が流された。9月3日ごろまで、事故原因…

アナトリ・コルヌコフ極東司令官

アナトリ・コルヌコフ極東司令官 ソ連防空軍側で公表した文書(1993年ICAO報告書)によると、Su-15TMのミサイルが命中した後、GMT世界標準時間18時28分(日本時間3時28分)、その標的KAL007は北へ向かった。標的は、8分後5000mまで降下し、モネロン島上空で2回…

KAL007の爆発と千鳥丸船員

KAL007の爆発と千鳥丸船員 夜明け前にモネロン島北27km〜30km、サハリン西沿岸から約50km沖で操業していたイカ釣船第58千鳥丸(Chidori-maru)は、けたたましい音をたてながら頭をかすめるほど低空飛行だったボーイング機が、モネロン島(海馬島)北側沖(北緯…

「KAL007事故原因」←2014/02/10

KAL007事故原因>ENGLISH 1983年8月31日、アンカレッジ空港は夕方から夜にかけて曇り。アンカレッジの過去のお天気データーでは、だいたい曇り。 JST:1983.9.1.3時10分00秒 観測地点北海道-青森:半月,下弦の月,月齢22.952,輝面比46.936% UTC1983.08.31.16:00…

KAL007事件で残された公訴問題

KAL007事件で残された公訴問題 KAL007の事件で信憑性のある言葉は、第58千鳥丸(Chidori-maru)船員の目撃とゲンナジー・オシポビッチ(Gennadie Osipovich)防空軍少佐のいくつかの解説のみで、被害者親族による損害賠償請求権と生命補償に関する問題が残さ…