KAL007事件で残された公訴問題(45)

 KAL007の事件で信憑性のある言葉は、第58千鳥丸(Chidori-maru)船員の目撃とゲンナジー・オシポビッチ(Gennadie Osipovich)防空軍少佐のいくつかの解説のみで、被害者親族による損害賠償請求権と生命補償に関する問題が残されている。ソ連防空軍とロシア政府に不利になるような証拠は、そのために隠蔽され、場合によっては隠滅された。その後、現在のロシアと防空軍の正当性、さらに最近はアメリカ・ボーイング社と大韓航空の利害関係に不利になるような事は、できるだけ避けていると考えざるを得ない。被害者遺族の何人かによって国際公訴問題に発展する場合、加害者となる国と会社、関係者は、この事件に関して報告をできるだけ吟味せざるを得ないという理由がある。現在も不明な点が多いため、検察官あるいは親族によって国際司法裁判所へ起訴手続きを具体的にしていないと思える。1999年頃、KAL007アメリカ人乗客遺族によるカルフォルニアでの慰謝料請求訴訟は、わずかな給付金だけで敗訴されたという記事を読んだ事があった。しかし、この問題は慰謝料ではない。「生命補償と人権の問題」で起訴内容の論点がずれている。ただ公訴するだけでは何も解決せず、一歩も前進しない。少なくとも下記の事々が前提となる。


<KAL007事件に関する作業報告書の公開要請>

  1. 事故直後のソ連側救助隊報告書
  2. ソ連側3隻の船による作業報告書
    • ソビエトガバン海軍機動部隊
    • ミルチンク石油掘削船
    • ハイドロノート漁船 
  3. モネロン島での作業報告書
  4. 海底と船上での作業写真とビデオテープ
  5. KAL007事故現場全体と各国の船が集まった情況を撮影した写真と録画テープ
  6. 海底で集められ引き上げられた遺体と遺品、飛行機部分の写真など

ソ連政府にはモスクワ参謀本部KGBの判断資料となるこれらの報告書が必ずある。


 ソ連側では証拠物件を隠している。あるいは手続きを踏んで要請されないから公表しない。国連安全保障理事会常任理事国でこの事件が問題となった時、ロシア共和国大統領ボリス・エリツィンは、コクピット・ボイス・テープとフライト・データの提出を余儀なくされた。法的段階を踏めば、それらの基本的な資料を公開する事ができ、この事件の真相が具体的にはっきりする。(時間、費用、英語力、国連、国際法などの司法知識がある程度必要とされる。この事件の場合は、被害者親族1人でも可能。公訴時効年数があり、特例や事例として注意しなければならない)
 戦時状況下で無関係な他国の民間人が巻き込まれた場合の補償に関する国際法がない場合、過去の事例や判例によって判決が下されるという事で、米ソは戦時下にあったと言えるか、複雑で難しい問題が背景にある。
 加害者側では、TV取材班や新聞社特派員、雑誌記者などマス・メディア関係者によるインタビュー、個人的な会見などで質問を受けた内容にしか返答をしていない。

<ミルチンク号の作業報告書から解る事実>

  1. KAL007が海底に沈んだ位置と水深。
  2. 潜水艇とダイバーたちによって撮影された事故当日の海底に沈んだKAL007便の状況
  3. 海底に沈んだKAL007機内情況の水中写真
  4. 海上に浮かべた時の外観と機内情況の写真
  5. ミサイル命中箇所の写真(爆発場所と規模が解る)
  6. その事故現場付近に集まったソ連海軍艦隊とアメリカ・日本・韓国側の救助船と艦艇などの写真
  7. 乗員乗客が所持していたカメラとネガ、カセットテープ、財布と現金など
  8. 海底で集められ、引き上げられた遺体、遺品、機体部分の写真

<モネロン島での作業報告書から解る事実>

  1. モネロン島北側に漂着した残骸や遺物に関する写真と作業内容
  2. コンテナに積まれていた物は、食品類、荷物、小包、書類と郵便物など。その中には精密機器、貴金属、美術品、現金や国債、株券なども含まれている(海面に浮いた遺体と遺品もほとんど燃えた事になるが、海水を含んでいたため燃えずに残った物もある)

<撮影されたKAL007水中写真とビデオフィルム>

  1. 民間のプロダイバー(バディム・コンドラバエブ)たちは、水中カメラとビデオフィルムを用意して撮影した。海軍ダイバーも水中カメラで撮影している。
  2. 9月1日から9月10日、9月10日から9月25日、その後の作業状況。9月1日から9月31日までの発見物の位置を示す略図と説明を含む報告書が保管されてある。

 事件当時よりさめた社会情勢にあるものの、国際民事事件の時効年数、特殊な事例としてその延期などの問題も残されている。1983年代に報告された事実と2009年の現在知られている事実は異なっているので、新たな事実が公表されなければ、判断と解決が難しい国際問題と考えられている。

 日本の民事訴訟で事故や殺人問題は20年、刑事訴訟は25年を過ぎると時効。大韓航空機追撃事件から26年経過している。国際司法関係の専門家がこれに取り組まなければならない問題だったが、政治的策謀でKAL007に関しての信頼性のある事実が隠され、新聞などで公表される機会が期間を置いて断続的だった。

 日本側では、NHK録画、朝日新聞、読売新聞、北海道新聞朝鮮日報、Japan Times, Dairy Yomiuri, New York Times, ロシア新聞のThe Izvestiaで既に公表されている記事、CIAが国連に提出した最終報告書"TOP SECRET/CODEWORD"(KAL007事件の概要), 事件後の発覚記事、新事実、ロシア防空軍極東司令官Kornukov(コルヌコフ)とGennadie Osipovich(ゲンナジー・オシポビッチ)のインタビュー録、航空機関士パイロットによる事故原因、検証後の記録報告書、アメリカ、日本側からの無線交信傍受録などを参考にすると事実を裏付けることができる。KAL007事件は、各国によって報道の仕方や記事内容が異なり、日本からの視点で、北海道新聞による北海道北側に漂着した遺体・遺品・KAL007の残骸部分の証拠記事、NHK録画、朝鮮日報ロシア特派員によるオシポビッチ個人インタビュー、イザベスチア調査1991(Izvestia Investigation ロシア新聞)などからこの事件の側面をある程度把握する事ができる。事故現場に隣接していないアメリカ・カナダ・中国・日本・韓国などの被害者国は、直接的な手がかりがないため、今でもKAL007事件でロシア側に拘束されている人々がいると信じている被害関係者もいる。最も肝心な証拠となる日本側からの、KAL007事件の過去の記事や第58千鳥丸の目撃については、2007年頃、Web上で一時期表示されていたことがあった。しかし現在のところ、それらの記事は公表されていないというような事故後の経過に至っている。

(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007,10 August 2009-2024-