オシポビッチ防空軍少佐Ⅰ(44)


Boeing747 The descent after the rise of 43 seconds, the flying distance:10km per 60 seconds with 600km/h
領空侵犯の証拠問題

 警告射撃は上昇中に行われ、撤甲弾口径25mm243発が発射された。撤甲弾は貫通力にすぐれている弾丸のため、滑りやすい斜めの角度からは撃たず、垂直に撃たなければ効果がない。彼は、どの角度からどの辺を打ったかということに関してまで話していない。
「我々はサハリンを既に越えていた」
「その場所は狭く、標的がほとんど逃げてしまいそうだった」
この話は、モネロン島とサハリンの中間にある狭い中立領域で、モネロン島北東上空ということになる。
 「高度10,000mに達した時、水平飛行をしたので、その時にターゲットからの間合いを12km以上取った。さらに8kmまで接近してからミサイルを発射した」。ミサイルは、KAL707事件で当たらなかった例もあるので、ターゲットの進行方向とSu-15TMの進行方向が異なる場合、横から発射しても素通りする可能性がある。そのため進行方向を同じにし、ターゲットの真後ろから発射したと考えるのが発射角度としては間違いない。オシポビッチが描いた略図には、さらに詳しい命中箇所まで記されていなかった。
 ミサイルを発射してから爆発する前に上昇しなければ、爆発物が飛散して追撃機に当たる。移動中に見えていたかは、はっきりしない。聞き方や質問内容による。その後に描かれた、他の人によるイラストなどによると右後ろが爆発した絵もあり、レーダー式ミサイル1発がKAL007の右側後ろから10m、前から50mの所へ命中したと記されている文もある。
問題は、ミサイルが命中した11,000m上空の場所が地図上でどの辺りか、逸脱航路がネべリスク南側からモネロン島北側の間であれば、モネロン島を越えた地点という事が推測される。



Gennadiy Nikolayevich Osipovich.2007. After shooting down 1983.9./Discovery:Unsolved history


Izvestia Investigation in 1991

オシポビッチ防空軍中佐は既に結婚し、彼には息子と娘がいた。
「私は休暇が終わって、8月16日にサハリンのソコル村へ戻りました」
「その時期に、連隊はMiG23とMiG31に切り替えました」
「私は全ての軍用機を知っていました。しかし、困難なのはソビエト連邦パイロットは、外国の会社の民間機を調べていなかった事です」
「距離は5kmありました」
「私は1分間、その飛行機を打ち落とすとは思いませんでした」
ボーイング機の背後の下で最初のミサイルを発射し、黄色い炎のフラッシュライトがあり、2番目は左翼の中ごろを素通りしました」
「その地帯は、想像できない雑音で満たされていました。後ろからはMiG23が、彼は外部燃料タンクを積んでいたので速く飛ぶことができません」
「そのパイロットは常に金切り音をたてていました」
「妨害パイロット」
これはどちらがそのように言っていたか不明。5km後方からの爆発は小さくしか見えない。1発目と2発目が曖昧だったためか、1991年には1発目が命中したと語っている。
「私は私の義務を最後まで果たしました。もしいつか、私が同じ状況にいるならば、航空機を妨害するためにできることは全て行うことでしょう。それは、私が訓練し、人生のために学んだ全てです。それを自慢してはいません。他の同僚は勲章としてメダルを受け取りましたが、私は何も、それは点数ではありません」


ソ連側で言うスパイ機の意味「KAL707事件」
 1978年4月21日、大韓航空ボーイング707(乗員乗客110人)パリ発ソウル行きは、北極航路を離脱し、ムルマンスク南200マイルの湖面に強制着陸した。4月27日、ロシア国営第1テレビでドキュメンタリー「KAL707事件」を放送し、新たな事実が公開された。
ウラディミール・ドミトリエフ元司令官は、「領空侵犯を確認した後、スホーイ迎撃戦闘機(Sukhoi Su-15TM)を出動させた。国際慣例に基づき誘導着陸を指示するよう命令したが、大韓航空機がこれに応じないという操縦士の返答を受けた後、撃墜命令を下した」
KAL707の時は、地上から対空ミサイルを発射し、低空飛行のため命中しなかった。迎撃戦闘機から発射された熱追跡ミサイルも命中せず、KAL707の近距離で空中爆発し、KAL707の片翼が破損した。
 米国・カナダ研究所のウラディミール・バシリエフ研究員は、「1978年のKAL707機によるソ連領空侵犯は、1983年にサハリン上空で撃墜されたKAL007事件と非常に似たケースだった。ソ連の防空能力と指揮能力を試験するための米国側のスパイ行為」と語った。中央日報モスクワ特派員ユ・チョルジョン2005.6.29)


ボーイングRC-135
偵察機ボーイングRC-135と識別できるものであれば偵察機という言葉を使用する。ソビエト防空軍は、合衆国の電子調査航空機ボーイングRC-135が、幅寄せ、触発行為、領空侵犯をしながら、その調査エリアを拡大させてきているという状況に我慢ならなかった。オシポビッチは、「RC-135を民間機にすり替えて飛ばすことも簡単で、それはあり得る」ということを晩年まで主張していた。RC-135によるソ連国境付近の偵察と領空侵犯に関しては、国際司法裁判(国連裁判)で米国大統領ロナルド・レーガンも米国空軍によるその事実を認めざるを得なかった。この時期の米国は3対2で敗訴。

アメリカの偵察機は、国境付近の無線チャンネルを調べるために飛行し、各所で無線周波数帯を拾っていました。ある時、飛行中に、---こんにちは、オシポビッチ少佐。休暇中はどちらへ行かれましたか---と聞かれた時がありました」。 
 KALパイロットの場合、U.S.A.空軍と関係している空軍あがりの経歴をもつパイロットが多く、ボーイング貨物回送機による最短航路のデモンストレーションと解釈される場合もある。しかし、KAL007のように乗客を乗せている場合は、他からの指令があったとしても危険なコースは取らない。1978年のKAL707事件で2人が死亡、13人が負傷したというニュースが世界的に報道されている。乗員乗客で死傷者が出たのは、ミサイルの爆発の破片ではなく、Su-15TM迎撃戦闘機の撤甲弾による可能性もあり、どちらによるかは明らかにされていない。1978年のKAL707のパイロットとデッドヘッド(他の便のパイロットと乗員)は、その後どうなったか、無事帰国できたか、詳しい事に関しては他国に知らされていない。あるいは強制収容所行きで、様々な背景と関係をソ連側に話し、待遇が良ければモスクワ郊外で生活しているという事も考えられないわけではない。大韓航空機客室の場合、ビールやワインなどのアルコール飲料が無料提供されている。

INS3基の内どれが不具合か
 1983年8月31日13:05、KAL007便がジョン・F・ケネディ国際空港を出発する際、慣性航法装置(INS) 3基のうち、1基に不具合があると報告されていた。しかし、1基に不具合があった場合どうなるか、機長にその不具合に関して知らされていたかどうかまで説明されていない。INSは何年に設置され、右利きの機長は何年から使用していたか。左横に配置された間違いやすいスイッチで右回し左回しなどの操作が逆であったり、メーカーが異なり規格が更新されている場合もある。あるいは「民間機にはレーダーが装備されていない」など、肝心な事が不都合なため、もっともらしく回避されていることがよくある。Boeing747-230BのINSは、左右2つの操縦席の間に横に3基並んでいた。ボーイング747型のコクピット左席が機長、右席に副操縦士が座る事になっている。


(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007,2010-2024.6.19-