KAL007大韓航空機撃墜事件に関する目撃録2

KAL007 大韓航空機撃墜事件に関する目撃録2 

 米軍偵察機RC-135は、ソ連極東の領空侵犯を既に行っていた。国連事務総長ハビエル・ペレス・デ・クエヤル時代(1981〜1992)の国際司法裁判(国連裁判)において、米国大統領ロナルド・レーガンは、RC-135によるソ連国境付近の偵察と領空侵犯に関して、米国空軍による領空侵犯を認めざるを得なかった。その時の常任理事国による国際司法裁判の判決は、3対2(露中仏:米英)で米国側が敗訴という状況だった。








United Nations Headquarters in NY


 アブラハム・シフリンや一部の遺族によれば、KAL007便の生存者がおり、情報や話として伝えられているが、具体的にひとりも確認されず、生還していない。
 私としては、KAL007便に乗っていた友人のNakazawa Takesiにそっくりな人(あるいは本人)を、2009年12月、インターネットのロシア番組(サハ共和国ヤクーツク/オイミャコン)で偶然見つけた。その番組にはエスニック・グループとして、KAL007機長チュン・ビュ・インの他、何人かの生存者とその子孫も混ざっている。さらに、チュコツカのアナディー郊外にも米国下院議員ラリー・マクドナルドをはじめとするKAL007の乗客らしき人々を見つけた。
 しかし、実際現地へ行って確認すべきか、確認してもらえるように政治的に取り計らうべきか、どちらも必要と思えるが難しい問題が含まれている。彼らは戦時下民間人捕虜の扱いから、現在はトナカイ遊牧民として国籍や住所が無い状態に置かれ、広大な森林や平原に囲まれた閉ざされた僻地で自給自足の生活をしている。その場所がラーゲリ流刑地であれば、集落の外側に銃を持った監視が付き、場所により通行許可証が必要とされるなど、現実的には確認が難しい状態にある。
 ラーゲリ内の通行許可証は、管理責任のための正当な理由がなければ降りない。ロシアの地方情報局や教育関係の取材で、ロシア大統領や州知事の助力で許可される可能性もあるが、他国の干渉の対象になりそうな場合は降りず、許可されたとしても撮影内容がチェックされるなどの条件がある。
 ロシアの町から離れた所にある村々は、1990年代後半まで閉鎖的だった。現在は「グラスノスチ情報公開」によってオープンになりつつあるが、自然環境が厳しいため、道から外れると思わぬ事態に陥りやすい。車の場合、冬から春の間の氷の厚さがある時期に装備と帰路の燃料があれば通れる。しかし、ガードレールの無い断崖絶壁の道を延々と走らなければならないなど、通った事のある人でなければ本当の状況は解らない。厳しい自然環境を含めて疑ってかかる必要性がある。夏場は橋が壊れていたり、泥沼の道が続いていたり、凍土が溶けると深さ2m以上に達する泥沼地帯もいたる所にあるので通れない。その他、一度入ったら出られなくなるほどガソリンが不足している地域で給油所など無いと推測している。



「KAL007大韓航空機撃墜事件 編集後記」

1983年9月1日 記者会見
 
 この事件で最も怪しい箇所は、不時着水後のブラック・ボックスのテープ内容で、燃料タンクの大爆発後でさえKAL007が海上に浮いていた間、テープ録音は止まっていなかった。その最後の箇所のCVRボイステープが存在するはずで、それを隠していると考えざるを得ない。ミサイル爆発による機内減圧のため、酸素マスクを装着した時までのコクピット会話とその他の音は、ICAO国際民間航空機関によるブラック・ボックス解読内容として既に国連で公表(ロシア語英語訳)されている。

 国際司法裁判(国連裁判)の時は、「KAL007によるソ連領空侵犯が操作ミスによる過失か、意図されたコースだったか」が最も重要な問題で、背景に米ソによる冷戦、米空軍RC-135による偵察と関係している「意図された領空侵犯」という判決だった。最高スピード900km/hのジャンボジェット機の上や下に、その2倍以上速い迎撃戦闘機が隠れ、ランデブー飛行する事は、実際に行われ、空軍基地レーダー、管制塔レーダーからしばしば観察される事もあった。そのような飛行行為とロッキード社によって1981年に開発され、1983年に配備された合衆国空軍の偵察兼戦闘機ステルスへの警告も含まれていた。

 常任理事国3対2の米国側敗訴の内容は、乗員DH・乗客の遺族による訴訟、保険・損害賠償問題へ影響する(勤務中・勤務外・出張などで異なる労災保険・生命保険なども含まれる)。事故後に不信な電話連絡のあった1〜2名以外、1983年から1990年までKAL007の生存者がいるとは自由主義国の誰も推測していなかった。

 この事件の鍵は、その他にもいくつかあり、最も重要な箇所が意図的に省かれている。何がそうさせたか。CNNやABC NEWSのTV放送によれば、米国ジョージ・シュルツ国務長官は、1983年9月1日、

"18:26 hours, the Soviet pilot reported that he fired missiles and the target was destroyed" "...destroyed the target and breaking away." "18:34 hours, Korean airplane disappeared from the radar screen.”

と言っており、「18時26分、ソビエトパイロットの連絡によれば、彼はミサイルを発射し、その標的は撃墜された」「...その標的を破壊したが逃げている」「18時34分、大韓航空機はレーダースクリーンから消えた」が正確な放送内容だった。各新聞で報道された「乗員乗客全員死亡」という言葉は、TVによる放送から除外されている。しかしその後、乗員乗客の生存の可能性についての解説が行われ、結果的にはその日の記者会見の時に"No survivers"と伝えたようだ。Washington ABC NEWS アナウンサーは、"no survivers" 捜査にも関わらず「生存者はいません」と付け足した。

 その時の記者会見状況の録画が残されている。当時のソ連政府と国家保安委員会は、この事件について、アメリカ側で即断した内容が早過ぎたため、合衆国の軍事基地や日本の自衛隊基地で傍聴録音されていたSukhoi Su-15TMの交信内容通りに事故後の処理を行った痕跡がある。
 しかし、1990年からのイズベスチア新聞による追跡調査とアブラハム・シフリンの再調査(1989年〜1991年)報告、その他の現地目撃談により、KAL007の生存者は現在もロシアに居る可能性があるという結論に至った。

  1. KAL007機長は、韓国空軍に10年間勤務していた元空軍大尉で、その後、大韓民国首相専用機の待機パイロットに任命され、大韓航空パイロットとして2年以上勤めていた。米空軍RC-135による偵察とKAL007の関係で疑惑はあるが、それを裏付ける確定的な証拠が無い。
  2. ボーイング旅客機元パイロットの検証によれば、KAL007のコース逸脱によるソ連領空侵犯は、アンカレッジ国際空港を離陸する前に行われた現在位置の座標を拾う操作ミスによる可能性が高いという説。
  3. この事件のソ連側の目撃談によれば、全員死亡したのではなく生存者がいたという現地漁民、民間人の話。
  4. 1983年9月1日、各国のニュースで公開された"No survivors"の報告日と判断状況、その確認の出所を厳密に調べ比較すると、その後の現地リポートによる異論反論説の方が事件の真相、事実に近い。


その他、コクピット会話内容のダイナスティーはコールサインで、キンポ国際空港管制塔の別名か説明不足。TOKYO HF(東京管制塔)とDYNASTY HFへの連絡、業務日誌の書き込みについての機長による指示、通過地点と高度の報告以外、偵察用連絡箇所が具体的に指摘されていない。


  1. 首相官邸 拉致問題対策本部宛に連絡と質問Eメールを送信済み。2010年4月1日11:02  質問の場合、窓口が異なっているので質問主意書として再び送らなければならない。内容により返答不可の場合もある。
  2. ホワイトハウス 米国バラク・オバマ大統領宛てに英文EメールでKAL007生存者確認願いについて連絡済み。2010年9月14日
  3. Committee for the Rescue of KAL 007 Survivors, Inc. International Director:Bert Schlossberg(KAL007生存者救助委員会 国際ディレクター:バート・シュロスバーグ氏)へEメールで連絡済み。2010年9月14日09:20

日本の場合、行政文書や外務省公文書は、「原則として作成・取得から30年が経過した行政文書は公開する」という事情がある。大韓航空機撃墜事件に関する行政文書は、「外交青書」以外にもあれば、2013年9月より。「KAL 007」に関するICAO報告書は1983年12月に公表され、米国共和党局員によるCIAへの「報告書草稿」TOP SECRET/Cordword(Central Intelligence Agency)も既に公開されている。


■日本国政府外務省「外交青書」資料編(日本語):1983年外交記録

■日本国政府外務省「外交青書」資料編(英語):1983外交記録_9月12日KAL007 Air Liner Incident



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(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007/Several viewpoints from Japan side,2010-2014/04/08.