2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

中沢建志Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1)

中沢建志Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1) 24 才, 1982年12月28日 中沢建志は、1958年、神奈川県で生まれた。彼は、16才から東京池袋のすいどーばた美術学院夜間部に通っていた。東京芸術大学を受験するため、そこで木炭デッサンや油彩画を学んだ。中沢は実…

Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1) 24 ages, 28 December 1982 Takesi Nakazawa was born in Kanagawa prefecture of Japan, 1958. He went to the night coarse of Suidobata Fine Arts Academy in Shimoochiai of Ikebukuro from 16 years old. And he lea…

2004年頃のサーバ構築

本体の電気消費量は最大360W スリム・タワーの場合の電源ボックス120〜150W 2004年にサーバを調べ、XPで個人的にサーバの構築が可能か、2年間試した事があった。学校のサーバでさえ、毎日ではないが、ダウンしてスイッチが自動的にOFFになっている事がたまに…

1998年頃のパソコン

1998年頃は、Windows95から97、さらに98へとアップグレードしなければならない状態だった。転送速度が56bpsのインターネットで3D関係を調べると、Electric ImageやMAYAが映画やCMなどで使用され、Vistapro、VueなどのWindows用3D景観ソフト、Shade、Cool3Dな…

東横美術研究所長の変死 3

Charcoal dessin of Venus by Junpei Satoh,1990 その所長が住んでいたマンションに「キルケゴールの言葉」大谷愛人(おおたにひでひと)訳、彌生書房発行があったかどうかまでは知らないが、1969年(昭和44年)の初版が手元にある。現在、その本を部分的に…

東横美術研究所長の変死 2

その研究所の生徒数が1976年度から激減した事により、地代や職員の給料が払えなくなったという理由が、その所長の自殺の原因だったと考える事が最も近い。銀行で貸してくれなかったか、銀行から借りてまで研究所を維持したくなかったか。加藤勝久氏でさえ判…

東横美術研究所長の変死 1

服部次夫(Tsugio Hattori)の話方や気質に、以前の東横美術研究所長の面影が僅かに偲ばれるので、その所長は鹿児島県出身ではないかと、最近になって思い出す事がある。どちらも既に死去しているが共通なある種の気質があった。そのニュアンスをうまく言い…

服部次夫(Tsugio Hattori 1951-1998.8.10)

服部次夫 1976年 服部次夫(Tsugio Hattori)がニューヨークの書店勤めをしていた時期、画集や珍しい古本のコレクションなどもしていたのではないかと思える節がある。服部のスタジオ(仕事場)の本棚に、佐藤達夫 南江堂発行の「人体解剖カラーアトラス」が…