2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ソ連側から出動した救助隊ヘリコプターと同機種Mi-8 1991年ソ連新聞イズベスチア調査取材によるオブザーバー(観察者)の話で、「事故現場の天候はほとんど晴れ、くっきりした空、青色の緑色の水域、嵐なしの秋だった」とある。天気は事故当日、1日目は曇り…
2024年5月20日KAL007乗客遺族 解決の糸口 Boeing 747の着陸 2024年6月改正版 最新記事追加(37) 1983年9月1日、サハリン西側モネロン島北方26kmの海上でKAL007が爆発した夜明け前のJST3時45分ごろ、その付近の海上にいた一隻のボートが走り出した。ボーイン…
1983年9月9日 モスクワ記者会見 「ソ連参謀総長オガルコフ元帥の領空侵犯機に対する演説」1. 本年、9月1日夜、ソ連極東において、米特務機関によって行われた挑発の本質、及びこれに関連するソ連防空軍機関の行動の性格は、9月6日付ソ連政府声明、及びその前…
「カメンスキー中将インタビュー2001年」 1983年春、アメリカ海軍USSミッドウェイは千島列島に近づき、その航空機はソビエト国境を越えてソビエト領空に深く入り込んだことがありました。その時、ソビエト防空戦闘機は濃霧のために飛行場からスクランブルで…
<静止衛星Himawari2/GMS-2による画像-夜間用赤外線カメラ> UTC1983.08.31.12:00 JST1983.08.31.21:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.08.31.16:00 JST1983.09.01.00:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.08.31.19:00 JST1983.09.01.03:00 Himawari2/GMS-2 UTC1983.8.31.1…
ミハイル・ギルス機長と本人が設計した2人乗り調査潜水艇チンロ2/Unsolved history KAL007 KAL007が爆発した1983年9月1日、6隻のソ連海軍艦艇と1日平均32隻のソ連船が事故現場領海付近に出動していた。ソ連以外の国々の船からは、KAL007の事故の規模と状態が…
ソ連防空軍側で公表した文書(1993年ICAO報告書)によると、Su-15TMのミサイルが命中した後、GMT世界標準時間18時28分(日本時間3時28分)、その標的KAL007は北へ向かった。ソ連側には「撃墜した」と知らされていたターゲットがレーダーにまだ映っていたので、…
夜明け前にモネロン島北25km〜30km、サハリン西沿岸から約50km沖で操業していたイカ釣船第58千鳥丸(Chidori-maru)は、ボーイング機が、モネロン島(海馬島)北側沖(北緯46度35分、東経141度20分付近)で爆発した所を目撃していた。 第58千鳥丸乗り組員は、…
1983年8月31日、アンカレッジ空港は夕方から夜にかけて曇り。アンカレッジの過去のお天気データーでは、だいたい曇り。 JST:1983.9.1.3時10分00秒 観測地点北海道-青森:半月,下弦の月,月齢22.952,輝面比46.936% UTC1983.08.31.16:00,JST1983.09.01.00:00,Him…
UTC:1983.8.31.18:00 JST:1983.9.1.3:00 Himawari2 赤外線天気図で白い雲は霧を伴っていた。ソコル基地は3時前から霧だった。 1983年9月1日は、タタール海モネロン島北側上空に周りより厚い雲が約50kmの幅でシベリアから北海道北側(北東から南西)へ流れて…
Boeing747 The descent after the rise of 43 seconds, the flying distance:10km per 60 seconds with 600km/h 領空侵犯の証拠問題 警告射撃は上昇中に行われ、撤甲弾口径25mm243発が発射された。撤甲弾は貫通力にすぐれている弾丸のため、滑りやすい斜め…
ゲンナジー・オシポビッチ防空軍少佐Ⅱ 「1983年、アメリカ人は我々の領域内での調査回数を増やしました。極東ソ連防空軍は、それに反応する事を強いられました。特にRC-135を憎みました。RC-135は国境沿いに飛び、レーダー信号を集めたり、地上ステーション…
President Ronald Wilson Reagan 「メリーランド州キャンプデービッドから演説」 ソビエトがKAL007便を撃墜した5日後、私は全国放送のテレビに出演し、「文明世界の私たち全員が、このような残虐行為が二度と起こらないように」呼びかけました。そして、その…