ソ連参謀総長オガルコフ元帥の演説(36)
1. 本年、9月1日夜、ソ連極東において、米特務機関によって行われた挑発の本質、及びこれに関連するソ連防空軍機関の行動の性格は、9月6日付ソ連政府声明、及びその前に政府の委任によって行われたタス発表の中で、極めて明白に述べられている。
本日、我々は、ソ連によって行われている出来事の、全状況の入念な調査の資料を考慮にいれて、記者会見を行うものである。発生した事態のすべての重要性を理解し、ソ連政府は事件当日、高い機能を有する特別な国家委員会を設置したことを、率直に述べねばならない。同委員会には、ソ連邦国家航空監督局を含む各種官庁の担当官、及び専門家が参加した。同委員会は報告書を提出した。自分は、自らの発表において、同委員会によって報告された事実、及び結論に依拠するものである。
2. 南鮮機のソ連領空への侵入が、あらかじめ意図され、綿密に計画された偵察作戦であることは、反駁できない程に証明されている。右作戦は、米国及び日本の領土の一定のセンターからコントロールされた。人命の損失は無視され、ひょっとしたらそれを言1算に入れた上で、民間航空機がその作戦のために、意識的に選ばれた。
そこから、西側プレスが呼んでいるところの、特別な「事件」のすべての重大な結果が生れている。発生した出来事に対するすべての責任が、完全にその組織者にあることは当然のことである。
次に、この挑発的飛行の各段階における具体的なデータについて述べたい。地図に注意を向けていただきたい。
3. 第1段階は、飛行の開始である。アラスカのアンカレッジ中継空港を離陸してまもなく、既に同機は設定された国際航路にそって飛行するのではなく、カムチャツカに向け進路を取った。我が方のレーダーによってカムチャツカのペトロパブロフスクから800kmの地点で、同機が発見された時までに、逸脱は既に500kmに達していた。
しかし、この全期間中、飛行は米航空管制局及び米防空システムのレーダーの補足範囲内で行われていた。このような条件下において、彼らが同機を「見失い」同機の設定された航路からの、かくも顕著な逸脱に気づかなかったようなことはあり得ない。この可能性は、除外される。よって次の疑問が生じる。もし普通の定期航空機について、話が行われているのなら、何ゆえ彼らはこれを修正しなかったのか。現在まで、これに対する米国からの回答は、得られていない。
4. 次に当該国際航路は、航行を保証する近代的無線技術機材により、整備されていることは周知のとうりある。同航路を毎年約1万2千の航空機が航行している。この国際航路においては、アラスカからカムチャッカをよこ切った線までは、米の航空管制機関が、それより以遠は日本が航空管制に対する責任を負っている。航路には、「ネビ」、「ネービー」、「ニッピ」等の特別管制地点が設置されており、各管制地点の上で、定期航路航空機は自己の位置を確定し、地上に報告すべきであり、一方地上の機関は航空機の通過を厳しくコントロールすべきである。設置された管制地点の南鮮機による通過に関する報告がない時に、ましてや定期航路航空機が同航路に存在しない時に、何ゆえ米国の機関は即刻警報を出さなかったのか、との疑問が生ずる。この質問に対する回答は、現在までのところない。
参謀総長によるRC-135の定期コース解説
5. 南鮮機が、まさに米偵察機。就中、RC-135が常時当直任務についている場所で、ソ連レーダー・システムによってカバーされている地域に入った、という事実に注意を喚起したい。今回我々は、9月1日カムチャツカ時間2時45分に、同地域において偵察機RC-135を発見した。それは、いささか奇妙なパトロール中であった。カムチャツカ時間4時51分に、RC-135と似たレーダー・エコーを有する別の飛行機が同地域で、かつ同じ8,000メートルの高度で発見された。両機は相互に---スクリーン上のエコーが完全に重なるまで---近づき、そして、約10分間一緒に飛行した。その後、そのうちの1機は以前にも繰り返し観測された如くアラスカに向けて針路をとり、他の1機はペトロパブロフスク・カムチャツキーに向った。当然ながらソ連防空軍指揮所においては、偵察機がソ連領空に接近している、との結論が下された。
6. 第2段階は、カムチャツカ上での行動である。5時30分侵犯機は、カムチャツカに接近した。同機はソ連戦略核戦力の最重要基地に向けて、真直ぐに飛行していた。
同機はソ連の管制機関、及び防空軍機による問い合わぜに何ら答えなかった。同時に無線センター基地は、通常、偵察データの通信に使用される、周期的な短い暗号信号を傍受した。
その間、防空軍の行動は、121.5メガヘルツの国際遭難波長による決められた、一般呼び出し信号の使用を含め(地上及び要撃機の双方から)、同機と交信し、至近のソ連飛行場に同機を着陸させることに専ら向けられた。しかし、これらの試みは、効力を発さなかった。侵犯機は、オホーツク海方向に飛び去った。
7. 第3段階は、サハリン島地域における行動である。侵人機の行動は、乱暴きわまるものとなった。すでに発表されたように、侵入機は、ソ連迎撃機の警告弾に応答しなかった。侵入機は、明白に防空機から、のがれるために、飛行の方向、高さ及び速度を変え始めた。サハリン時間6時2分に侵入機が、その方向をするどく変更し、我々の防空ミサイル部隊の配備位置を一周し、サハリン島西部の重要な軍事施設の上を通過したのは、かなり特徴的なことであった。偵察機が空中にいたことには、疑いの余地がなかった。
侵入機が、サハリン島の南部に到達した際、侵入機を強制着陸させるための最後の企てが行われ、そのためサハリン時間の6時20分に、4連射の曳光弾による警告射撃が行われた。侵入機が、その期に及んでも要求に応ぜず、ウラジオストックに向かう一般的な方向をとって逃亡しようとしたため、6時24分、迎撃機はミサイルによって侵入機の飛行を阻止すべき命令を受け、その命令が実施された。
8. 米側は、現在あらゆる方法で、「ソ連があたかも最初から意図的に民間定期航空機を潰滅させることを自己の目的としていたかのように」、証明しようと努めている。
しかしながら、これは馬鹿げている。もしも、かかる目的が与えられていたのであれば、我々は何回にもわたって、しかも保障された形で、戦闘機を空中に飛び立たせずに、米ではSAM-5とよばれている高射ミサイル---同ミサイルの射界を航空機は通過していた---によって、既にカムチャツカ上空で、侵犯機を潰滅し得たであろう。
結論として、カムチャッカ上空及びサハリン上空でのすべての出来事は、深夜雲量(雲居の上部を侵犯機は飛んだ)の多い条件の中で発生したことに、みなさんの注意を向けたい。既に述べられた通り、サハリン時間6時24分に、同機の飛行は阻止されたが、当時夜明けは、同所では7時11分に始まり、日の出は7時49分であった。その際、ソ連防空軍が、この条件の中で、あらゆる可能な警告措置を講じた後でのみ、このことが行われたのである。その行動は、ソ連邦憲法、及び国境法、並びに現国際規範に正しく依拠して行われた。
領空を含む自らの国境の擁護は、各国の主権的権利である。ソ連軍は、ソ連国民の平和な行動の整備につき、絶えず高度の戦闘準備体制にある。ソ連国家の全歴史を通じて、ソ連軍は栄光をもって自らの使命を果たしてきた。必要とならば、同軍は今後も自らの戦闘課題を果たすであろう。
EC外相理事会声明
(83年9月12日,アテネ)
(イ)EC10か国は、本日の外相政治協議の機会に多数の人命を奪う結果をもたらした大韓民国航空機破壊につき、深刻な感情(DeepEmotion)を繰り返した。
(ロ)10か国は本事件につき、適切な機関特にICAOが徹底的な調査を行うべきであると考える。
(ハ)10か国は民間航空機の将来の一層の安全を確保するためにICAOに提出されるであろう一連の提案を支持する。
(ニ)本件の他の側面については、加盟各国はその立場を既に明らかにしている。