オシポビッチ防空軍少佐Ⅱ(45)

ゲンナジー・オシポビッチ防空軍少佐Ⅱ

 「1983年、アメリカ人は我々の領域内での調査回数を増やしました。極東ソ連防空軍は、それに反応する事を強いられました。特にRC-135を憎みました。RC-135は国境沿いに飛び、レーダー信号を集めたり、地上ステーションの無線を妨害する事ができます。偵察機は真っ直ぐ我々の国境に向かい、横断し、我々のレーダーをオンにする事を強要します。絶え間ない神経戦がありました。過去10年間に私は何千回も飛び立ちました」。

 「1983年4月、海から霧が発生する時期にアメリカ人は我々の領空を荒らし、15分間ゼレニジ(Zelenyj)島の周りを旋回しました。そのあと委員会が到着して我々を叱り飛ばした事もありました。事件当日のKAL007(KE007)は、レーダー上で、通常のRC-135より非常に速く飛んでいました。これに加えRC-135は通常の8の字飛行の代わりに直線に飛んでいました」。

ゲンナジー・オシポビッチ元ソ連防空軍大佐
 「その日の上空の天候は晴れでした。高度8,500mまで一気に上昇した私は、所々に散在する雲間に侵入機を見つける事ができました。内心ドッキリ驚きましたが、阻止命令を受けた私が標的を発見した時は、その後ろ13kmの所にいました。ターゲットは方向を変えました。左側80度の所にいます。識別灯を付け、閃光灯で飛んでいました。コースは240度、高度7,500mです。その侵入機と速度が一致した時、私は搭乗機の灯りを点灯し始めました。しかし、その飛行機は答えませんでした。地上基地から「警告弾を発射せよ」という指令が出ました。彼らは私の点滅する灯りに気づきました。そして速度を低下させ、約400km/hで上昇しました。地上基地から---「目標を破壊せよ」---という命令がありました。そのように言うのは簡単でした。しかしどうやって? 私は4回で200発以上の徹甲弾をすでに発射していました。残りの徹甲弾も充分にありましたが撤甲弾による攻撃はやや貧弱に思えました。私は念のためユーターンを完了し、その飛行機の上に降下しました。飛行機からさらに2,000m降下し、その角度から鋭く先端を上げ、アフターバナー、ロックをオンにしました。接近した時の機影は今まで見た事の無い物でした。戦闘機や偵察機の型は全て記憶していましたが、似ているようでどれにも当てはまりません。上空の大気は、想像不可能な騒音で満たされていました。飛来物のために12kmまで後ろに下がり、8kmまで接近してミサイル2発を発射しました」。

 「私の後ろにMig-23がおり、外部燃料タンクを積んでいるため速く飛ぶ事ができません。Mig-23は絶えず不気味な高い音を発していました。侵入機のライトが全て消えると私は右へ曲がり、基地からMig-23に指示があったのを聞きました」---基地コントローラー「目標は降下しています」。Mig-23「まだ発見できません」。基地コントローラー「目標高度5,000m」。Mig-23「見つける事ができません」。基地コントローラー「目標はレーダースクリーンから消えました」---「私は、追撃したその侵入機が、まだ飛んでいると思っていました。後の者は、侵入機が2基のミサイルによって破壊されたのは、単に局所か部分であると私に伝えました。私はSu-15の上に搭載していたミサイルタイプ7を撃つべきでした。帰り際に機内装備を点検しました。タバコの吸殻は既に消えていました。燃料用非常灯を見ると、あと10分飛行できるほどの燃料が残されていました。基地滑走路は海からの霧によって覆われていましたが、何とか私は着陸する事ができました。

 防空軍基地では英雄のように多くの同僚たちに迎えられました。若者は羨望の目で私を見ていました。「全てがうまくゆきました。私の同士よ!」と、要するに祝賀がありました。その後、空軍総司令官は彼の飛行機を私に贈りました。私は白人のように国内の至る所を飛びました。一区画の土地を買い、家も建てました。息子や娘もいます」-----(参考文献:Mistery of KAL007より和訳:佐藤)

 

 ボーイング機が上昇する前に、「左横に並び、その機の前を右側に旋回した」と、筆記図を書きながら朝鮮日報特派員に伝えている。右側からボーイングの前方へ出て左側に旋回した図と2枚あり、両側から窓の灯りが見えるか確認しようとした。KAL007のパイロット千炳寅(Chun byung-in)は、飛行航路の間違いや迎撃機に気付いていたはずで、職務上の責任が問われることから、めったな事ではその状況を管制塔へ報告しない。ハイジャックなどの状況資料のためにブラック・ボックスが設置されてある事も大韓機の機長は知っていた。その時点でその状態を報告するのが間違っていると判断するしかなかった。KAL007副操縦士は、ミサイルによって後部機体が破壊された後でさえ、減圧のため---Descend to one zero thousand 1万フィートへ降下する---しか連絡していない。ゲンナジー・ニコライビッチ・オシポビッチ(Gennadiy Nikolayevich Osipovich)は、「爆発後、上昇し、ほとんど垂直になるまで反り返えり、炎上しながら急降下した」と話している。KAL007パイロットにとってみれば、その時点でフライトの持続が可能か、どの程度の損傷か、判断が付かない。
 ゲンナジー・オシポビッチは、ボーイング機内のトイレに行くための薄暗い常備灯が点灯しているかどうか、確認のため真横に接近した時、本当は窓明かりがかすかに見えていたのではないかと思える。ニューヨークタイムズのインタビューによる本人の証言によると「曖昧な状態で、どうもはっきり思い出せない。薄明かりと窓ガラスが見えていたような気がするが、はっきりしていない状態だった」。最近の話では「150〜200mまで接近し、窓が2列あったが人影までは見えなかった」事を伝えている。「ソ連の防空内規に従うと、夜間の領空侵犯は撃墜」ということだったので、はじめから撃墜するつもりでいたようだ。しかし、内規事情に関してはインタビューで伝えられているが、初めから撃墜するつもりでいたと断言はしていない。「民間機を装ったスパイ機と判断して撃墜した」と、報告書の記録上、矛盾しないように述べている。暗いため機種の判別が付かない状態で、航法灯(翼端灯/ナビゲーションライト)と衝突防止灯が点灯しているだけであった。その大きさはだいたい把握していたようだが、徹甲弾の効果と暗闇での命中率を考えた場合、速度に2倍以上の差があるので、背後から撃つような無駄な事は誰が考えてもしない。彼はこの記者会見の時でさえ、「スパイ機であり、民間機ではない」と、信じようとしていた。「しかし、もし民間機だったら謝る。本当に悪い事をした。申し訳無い」と、下を向いて語った。晩年のゲンナジー・オシポビッチは、公務から離れ、ウクライナの小さな町でイチゴとキュウリなどの農作物を育てているという記事であった。1983年9月1日の事件当初は空軍少佐、1991年ロシア新聞イズベスチア調査には空軍中佐と書かれてあった。晩年は空軍大佐でパラシュート訓練で怪我をしてから退職後、現在は年金で暮らしている。(朝鮮日報/モスクワ特派員による記事を参照)

Gennadiy Nikolayevich Osipovich in the New York Times, 9 December 1996

Lieutenant Colonel Gennadiy Osipovich 52 years old/New York Times
 「1983年8月の休暇が終わり、私はソコル空軍基地滑走路脇の小さな家に宿泊していました。その当時の月給は230ルーブル(920円)だった。侵入機を打ち落とすことによって400ルーブルのボーナスを期待していたが、実際は200ルーブル(800円)しか支払われなかった。最初に侵入機をレーダーで発見した者には400ルーブルが支給され、このスクランブルに参加していない者に2倍の給料が支払われた。52才の現在は、1ヶ月(又は1年間)150ドル(1万4千円)の年金を当てにして暮らしています」。彼は、夜間に飛ぶボーイング機の実際の姿を真近で見た事がなかった。

「それは巨大でした」
「私は、その上下で点滅しているライトを含み、その全容を見ました」
「民間のジャンボジェット機は、軍国化されたソ連領域に決して近づく事がありませんでした」
ソ連領空を侵犯した時に、その飛行機を打ち落とす用意ができていました」
「ソコル空軍基地からは、最初、着陸させるように連絡があった」
「34,000フィートで並列飛行をした後、自らの機を少し後ろの方へ引き、複数列の窓が見えると返答しました」

 ソコル防空軍基地では「ライトが点いていれば民間機、点いていなければ偵察機spy plane)」という事を連絡している。ゲンナジー・オシポビッチ空軍少佐は、英語である程度話せるので、英語で警告後、誘導する事ができたはずだが、「相手はロシア語を解さない」と連絡を回避し、「警告のための軍用モールス信号の電波を発した」。KAL007のブラック・ボックスにはSu-15TM迎撃戦闘機からのモールス信号(JST3:15:52-3:18:06)が約2分14秒、小さな音から次第に音量が増大し、その後20秒間、解読不明の雑音が録音されている。ゲンナジー・オシポビッチの初期の話の内容から、その20秒間の雑音は、Su-15TMジェットエンジンの轟音と徹甲弾連射音、ロシア語による無線警告が混ざっていると考えられる。後々海底で発見されたKAL007操縦室左下の機体破片に徹甲弾の傷痕(幅3cmX長さ20cm)と傷穴(直径2.5-3.0cm)があり、その操縦室左側後方の機体部分は、韓国で確認され、ニューヨーク・タイムズに掲載された。操縦室の左下から前へ抜け、さらに上昇して旋回した。「旋回した時、機関砲のフラッシュが見えていたはず」とオシポビッチ空軍少佐は後々語っている。しかし、KAL007のパイロットたちは、その信号が何であるか判らなかった。あるいは気づいたとしても黙っていた。その時、操縦室左下に開いた徹甲弾の穴から空気が漏れ、室内気圧が下がり始めていた。客席と操縦室の気圧調整は別々でドアで仕切られていたため、ミサイルによる後の客席からの減圧とは異なっている。モールス信号の電波は、Su-15TM迎撃戦闘機がKAL007後方から距離を置いて接近するまで、2分14秒過ぎまで発信された。オシポビッチは、民間機か偵察機かの識別的な疑問がなかった。「民間機を装ったスパイ機」であると判断し、晩年までそのように主張し続けている。そしてソコル空軍基地と、その侵入機の形状に関して十分な連絡を取らなかった事に関して言及している。

「弾丸520、大砲3発を撃ちながら、その飛行機の前を旋回、侵入機のパイロットは、その時のフラッシュを見ていたはずで、それがソ連の迎撃戦闘機である信号(サイン)に気づくべきであった。パイロットの呼び出しに無線を使用するにも、相手はロシア語を理解していないので無線も使用できなかった。それでソ連軍用の電子信号を発信しました。もし、その誘導に気づけば空港に着陸させる事ができた。そして、そうしてほしいと思いました」

「あなたは、私が彼を殺したかったと思いますか?」
「私は、彼とボトルを共にした方がましだった」
「そして、その飛行機を打ち落とすように命令が下された」
ソ連領空から95マイル離れた所で、その飛行機を撃墜しました」


ソ連防空軍迎撃戦闘機Sukhoi Su-15TM


ミサイル命中地点に2つの説
 ソ連領空から95マイル(175.94km)というのは、随分離れ過ぎた距離で、9.5マイルの記載間違いではないかと疑問に思える。KAL007の前方の旋回の後、ブラックボックスに録音されているモールス信号は、3時15分52秒から始まり、3時26分2秒にミサイルが命中した。警告、或いは誘導のためのモールス信号の発信から爆発まで10分10秒、KAL007の速度が400km/hで上昇し続けたのであれば、10分間で約75km進んだことになる。この数値から考えると、ソ連領空から95マイル、あるいは9.5マイルという話は、上昇角度によって距離が短くなったとしても、違っているのではないかということになる。モールス信号の電波を発信し始めた場所が、ネべリスクからゴルノザゴーツク上空付近であれば、それから10分間でモネロン島西側のソ連領空を過ぎる。ミサイルが命中したのはその辺りではないかという事が推測される。


極東司令官コルヌコフ:日本時間3時24分
「こら、いつまでかかっているんだ。そいつは既に中立領域に出ようとしているぞ。すぐにアフターバナーせよ。ついでにMiG-23も連れて行け。ぐずぐずしているとそいつは逃げてしまうぞ」 その時、スミルニク基地寄りを飛行していたMiG-23は、ソコル防空軍基地からの連絡を受け、Su-15TMの後方へ向かった。


<モネロン島南西地点>
 ICAO(国際民間航空機関International Civil Aviation Organization)へ提出されているソコル防空軍基地の時間とKAL007ブラックボックスの時間に明らかなずれがある。Su-15TMがミサイルを発射した時間は、JST3時26分20秒で、ブラックボックスに録音されている爆発音は26分2秒だった。ミサイル発射から命中まで約30秒かかったと報告されているので、ソ連側の時計が48秒進んでいたか、KAL007ブラックボックスの時計が48秒遅れていた。KAL007ブラックボックスの機内会話としては表されていないが、迎撃戦闘機の電波によるモールス信号の音が増大し、解読不明の雑音が入った後、Su-15TMは、22分17秒(KAL007=21分29秒)にKAL007の前を再び旋回した。しかし、その間のKAL007パイロットたちの会話は無言だった。KAL007パイロットたちは、Su-15TMの旋回を2回以上目撃していた事になる。Su-15TMの最後の旋回からミサイル命中まで5分31秒あり、その間はどちらも33,000フィート(10,058m)の高度で緩やかに上昇中で、時速900km/h(この時の時速は1000km/h近いとオシポビッチ少佐は追跡していたため速度を知る事ができた)82km進み、KAL007パイロットたちは、警告誘導のための旋回と雑音混ざりのロシア語に気づいたため会話をしなかったと解釈できる。その間、KAL007パイロットたちは方向を変えなければ危険ということを察知していた。ミサイルが命中する前のこれらの事実は、ソコル防空軍基地とKAL007の会話記録によるデータに基づいているため間違っていない。水平飛行中、モールス信号の電波が入り始めて約2分後、KAL007の南側前方200km以上の距離を置いて飛んでいた次の便のKAL015は、「高度37,000フィート(11,000m)に達した」と、KAL007と東京管制塔へ連絡した(3:17:44)。Su-15TMによる前方旋回後、KAL007はKAL015からの連絡を受け、KAL015が飛行中の南西へ方向を変えた。しかしそれから約5分後、ミサイル攻撃を受けたため反対方向の北へ向かったと解される。
 ソコル防空軍基地のレーダー観察によると、3時26分にミサイルが命中し、43秒間上昇し続けた後、急降下した(KAL007ブラック・ボックスの記録)。ミサイルが命中してから2分後(3時28分)、KAL007は北へ方向を変えて加速しながら降下。3時34分に左へ曲がった後、右へ曲がりながら高度5,000まで降下。3時36分、モネロン島上空で螺旋状に2回旋回しながらさらに降下している。そして3時38分(命中から12分後)、モネロン島領空内でソコル防空軍基地のレーダーから消えた(ICAO報告書)。レーダー観察によるこの情報は、アメリカのレーダー記録を入手しているCIA報告と一致しているので間違いない。KAL007が北へ向かった時、高度9,144mで3分間の水平飛行があったという事がCIA(Central Intelligence Agency)によって付け足されている。

 KAL007機長と副操縦士は、ミサイルの爆発による衝撃が何であるか判らなかった。爆発から4秒後、「何が起こったんだ?」と大声で言ったタイミングは芝居じみていない。迎撃戦闘機の旋回を見ていたが、誘導のために旋回していたのかまではっきり理解していなかった。ボイス・テープの記録によれば、KAL007のコースがずれ、領空侵犯をしている事に気づいていなかった方に分がある。


<モネロン島北東地点>
 3時24分にSu-15TMは、サハリンのソ連領空を出ようとしていた(モネロン島南西の可能性もある)。KAL007は、ソ連領空を約400km/hのスピードで上昇しながら脱し、高度10,058m(33,000フィート)で3時20分21秒から26分2秒まで6分19秒水平飛行をした(ブラック・ボックスの記録)。その時のKAL007のスピードが約600km/hであれば、ソ連領空を脱してから約20km地点でミサイルが命中した。ICAOに提出されたコルヌコフ司令官による会話の時間が正確であれば、ミサイルが命中した位置は、モネロン島まで達していず、その島の北北東から北東約20km、サハリン西海岸ソ連領空から17.592km(9.5マイル)ということになる。

 レーダー観察からの報告が正しければ、ミサイルが命中した位置はモネロン島南西の方角で8分かかる場所、モネロン島南西37km地点(モネロン島ソ連領境界から9.5マイル南西)ということになる。理論的にはICAOへの報告書には、ソコル防空軍基地の会話による時間とレーダー観察による位置と時間に矛盾があり、2つの説に分けられる。

 どちらに信憑性があるか。ソコル防空軍基地の会話より、レーダー観察による報告の方が位置と時間がはっきりしている。ゲンナジー・オシポビッチ少佐は、ポストが少佐、中佐、大佐と昇格するたびに会見の発言に訂正を加え、ソコル防空軍基地の会話で、「まだ真っ暗で見えない」と記録されているにもかかわらず、「複数列(2列)の窓が見えると返答した」と中佐の会見の時に語っている。注意しなければならないのは、窓の明かりではなく窓が見えたという連絡で、その返答までICAO報告書に記録されていなかった。つまり、ソコル防空軍基地の会話は、録音によるものではないため抜けている交信内容があり、時間が少し調整されているということになる。これら2つの違いから、レーダー観察による報告の方が間違いが少ないと言うことができる。
 コルヌコフ司令官は「MiG-23も連れて行け」という指令を何回も付け足していた。オシポビッチ少佐は、昇給と任務を考えると引き下がる事ができなかった背景がないわけではなかった。曖昧な状態で民間機かも知れないと言う事で引き下がると、現在の職や将来性まで怪しくなる。「ジャンボジェット機だ。2列の窓明かりがうっすら見える」と、早目に報告すれば、基地でも攻撃を中止した。しかし、そう答えるには窓明かりが暗過ぎてほとんど見えない状態だった。

 ゲンナジー・ニコラエビッチ・オシポビッチ(Gennadiy Nikolayevich Osipovich)は左利きであり、彼が描いた略図によれば、大型機の左側後ろに迎撃戦闘機の位置が描かれてあった。大型機の横から窓の灯りや機種などを確認しようとしたがほとんど見えず、航法灯と衝突防止灯しか確認できなかった。そのため無線で警告、しかし応答がなかった(後に無線で警告をしなかったと言い直した)。その大型機の操縦席前を左側から右へと旋回した略図を描き、朝鮮日報モスクワ特派員に説明した。
「一発目は外れて左翼エンジン(左翼ジェット・エンジン2基の内どちらか)にあたり、黄色いフラッシュがあった。2発目は機体後部へ命中して爆発した」 
1996年9月9日、ニューヨーク・タイムズによるインタビューの記録には、
「大型機が上昇してから直ぐに追いつき、その真横に並んで飛行した(JST3:22:22)」
「ミサイルが当たると後ろへ爆破物が飛んでくるので12kmの距離を取り、追尾して接近、8kmまで接近した時に(1991年に5kmと記載されている記事もある)、ミサイルをターゲットへ発射した(JST3:25:16)」
「爆発して撃墜後、360度旋回した」などが記されている。
上昇力には格段の差があり、大型機は上昇すればするほど時速400km以下までスピードを落としていた。(B747最大速度913km/h, Su-15TM最大速度2,230km/h)


(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007 January 2014-2024-