大韓航空機撃墜事件の概略(23)


大韓航空機Boeing747-230B_HL7440 2Fの窓数10で同じ機種 

  1. ニューヨーク・ケネディ国際空港発JST13:05、アンカレッジ経由(JST21:50)ソウル行き大韓航空機KAL007は、1983年8月31日JST9月1日1時30分、カムチャッカ半島北東上空を通過。ソ連防空軍迎撃戦闘機は、スクランブルを試みたが、発見できなかった。
  2. さらにKAL007は、南サハリンSakhalin上空高度10,668m(35,000フィート)を通過。ソ連領空侵犯後、サハリン(又はモネロン島)のソ連領空を脱した中立地帯で、Su-15TMのミサイル2発レーダー式と赤外線式によって攻撃された。
  3. 最初の赤外線ミサイルは左翼ジェット・エンジンをかすり、次のレーダー式ミサイルがボーイング機右後ろから10m、前から50m(ボーイング747は全長70.7m)の間に命中(JST3時26分2秒)。爆発で180cm四方の穴が開き、燃え上がった。外気温-75℃〜-50℃、外気圧150hPa〜250hPa。
  4. 爆発後、自動操縦で上昇中、高度警報、高度逸脱警報、自動操縦以外の警報が鳴り、爆発から21秒後、31秒後まで3回、操縦室呼び出しのブザーが鳴った。
  5. Su-15TMは、標的(ターゲット)が上昇した後、垂直にそり返り、炎上しながら急降下してゆく状況を見ながら爆発地点で360度一周。「ターゲットを撃墜した」と基地へ報告した後、南サハリンのソコル防空軍基地へ戻った。
  6. KAL007は、自動操縦を手動に切り替えるスイッチが入らず、43秒間自動操縦で上昇。高度11,000m(38,250フィート)で、ほぼ垂直に立ってから急降下(JST3時26分45秒)し始めた。ジェット・エンジン4基正常。着陸ギヤのスイッチが入る状態だった。
  7. 降下3秒前(JST3時26分42秒)、操縦が手動に切り換わり、爆発53秒後(3時26分55秒)、酸素マスク着用の機内アナウンスが放送された。
  8. その後KAL007は、高度9,144mで3分間水平飛行をしながら北へゆっくり進み、モネロン島上空7,000〜5,000m付近で螺旋降下を2回繰り返しながらさらに降下した。第58千鳥丸船員たちは、モネロン島上空で音をたてながら螺旋降下をする飛行機の様子を目撃していた。
  9. 高度4,000mでMiG-23とRTF(MiG-31)2機(3機の説もある)に追跡され、左旋回右旋回を繰り返した。追跡機2機のうち1機(RTF)が標的を発見してすぐに長射程空対空ミサイル2発を発射し、KAL007は、そのミサイルをかわしながら右旋回。その後レーダーから消えたため(3時38分)追跡機2機はソコル防空軍基地へ戻った。高度2,000m以下は場所により水蒸気雲、海上には霧が発生していた。
  10. レーダーから消えたKAL007便は、モネロン島北側約30km海域(国際水域)で操業していた日本のイカ釣船第58千鳥丸上空を轟音をたてながら低空飛行し、間もなく爆発した。どの方向に飛んで行ったかまで説明されていないが、モネロン島上空で螺旋降下をしたのなら、北側からモネロン島へ向かう途中で着水したと考えられる。ソビエト連邦によって宣言された領域限界は、モネロン島とサハリン沿岸から12マイル22.224km。モネロン島からサハリン西海岸まで49km、稚内からモネロン島まで約70kmの距離がある。
  11. ブラック・ボックスに納められているフライトレコーダDFDRとボイステープCVRが解読され、KAL007便コース逸脱の原因として、「アンカレッジ離陸時の慣性航法装置設定ミス」が最も有力な説と現在は考えられている。(1)アンカレッジ空港で発進位置設定エラーを見過ごし、ヘディングモードのまま飛行 (2)現在位置を確認するための手段や飛行航路を表示するディスプレーが無かった。
  12. 1983年9月1日、韓国と日本の夕刊には、「大韓航空機ユジノ・サハリンスクへ強制着陸」「邦人27名全員無事」「ソ連が連行の可能性」と報じられた。しかし、アメリカ時間9月1日の午前中、「生存者はいない」と米国ジョージ・シュルツ国務長官(George Pratt Shultz)が記者会見とテレビニュースによって正式に発表。翌日の9月2日、日本国内の朝刊で「大韓航空機行方不明事件」「生存者はいないと米国務長官が発表」「大韓航空機 ソ連が撃墜 乗員乗客269名全員死亡」と報道された。その後も、ソ連参謀本部、ロシア政府大統領によって「KAL007の生存者はいない」と返答された。米国シュルツ国務長官が「生存者はいない」と発表したのは、KAL-007(KE-007)がコースを逸脱しソ連領空を侵犯、レーダーから消えた位置、Su-15TM迎撃戦闘機及びMiG-23迎撃戦闘機とソコル防空軍基地司令官の会話などから判断されたもので、ミサイルを発射した後、「ターゲットを撃墜した」という無線報告を日本の自衛隊基地で傍受録音していた。そのロシア語無線会話が即日アメリカへ送られ、合衆国のテレビで正式に発表。米国シュルツ国務長官による記者会見の内容が、日本の報道機関にも伝えられた。
  13. 日本側の新聞による報道では、1983年9月1日サンケイ新聞夕刊_大韓航空ジャンボ機サハリンに強制着陸。ソ連領空を侵犯、269人乗り日本人は27人、撃墜された恐れも、関係筋。9月2日朝日新聞_韓国機ソ連が撃墜。米国務長官が発表、8機迎撃、ミサイル、乗客ら269人は絶望。9月2日読売新聞、大韓機、ソ連が撃墜。ミグ23、ミサイル攻撃、8機が追尾の末。日本側の捜索阻む。9月2日サンケイ新聞_韓機ソ連、ミサイルで撃墜。サハリン横切り海馬島付近で領空侵犯。警告無し。米国務長官が発表、8機で交互に追尾、米空母派遣を検討。
  14. 1988年のサンケイ新聞には、大韓航空機、強制着陸のナゾを追う。精密誇る機器にミス?5年前の”悪夢”再び。事故後5年間は、様々な噂や説があり、強制着陸のナゾとされた時もあった。
  15. その後、ソビエト政府はその言葉を繰り返し、「生存者はいない」と1993年にもアメリカ側に返答している。しかし、1991年までのアブラハム・シフリンの調査(1989-1991)報告書によると、彼の友人だった米国民主党下院議員ラリー・マクドナルドと子供たちをはじめとするKAL007の生存者がいるという情報や噂があり、サハリン西海岸ネべリスクの複数の地元漁民たちによれば、「KAL007は海上に着水し、乗員乗客はトランクといっしょに船に運ばれた」と伝えられている。アブラハム・シフリンは、その目撃談を彼の調査書に繰り返し書き記した。そしてその漁民たちの話がイズベスチア紙上で公表されたこともあった。


ソ連防空軍による攻撃事実



George Pratt Shultz and Ronald Reagan

  1. 1983年9月1日、日本時間23時40分、アメリカ時間午前11時30分過ぎ、ロナルド・レーガン(Ronald Wilson Reagan)大統領時代にシュルツ(George Pratt Shultz)国務長官がテレビ会見で発表したところによると、MiG-23とソ連防空軍の交信を傍受、「ソ連パイロットはミサイルを発射し、目標は破壊された」と報告した。9月1日の「邦人27名全員無事」という記事は、ソ連側の誰から日本の新聞社に伝えられた内容か、はっきりしていない。在ソ日本大使館からの情報であれば、KGBロマネンコ将軍、あるいはソ連国境警備隊南サハリン管区責任者からの指示で伝えられた話で、軍事機密として事実を隠し、ソ連側では本当の所、何も知らせていないという疑いも出てくる。9月2日の韓国側新聞は、「KAL007便はユジノ・サハリンスクへ強制着陸させられた」と報道。それが報道関係機関にFAXで配信された発信者不明の情報と伝えられたこともあった。
  2. さらに、アメリカ側でSu-15TM1機による最初の撃墜報告と、その後からのMiG-23を初めとする2機か3機の発進を一緒にしている意味と解せる。1回の追撃に簡略化したため事実がこじれた。初めの内、日本側のマスコミが、MiG-23に撃墜されたと報道していたのは、日本側の交信傍受の録音テープ解析に基づいていた。
  3. ソ連防空軍側で提出した1993年ICAO報告書によると、初めはSu-15TMのミサイルがKAL007の機体後部に命中し、それでもレーダーから消えずに飛行していたので、MiG-23とRTF(MiG-25 or MiG-31)で追撃した。(RTFはニックネームとして注釈を加えず報告されている) 交信内容は、ソコル防空軍基地コルヌコフ(Kornukov)司令官からMiG-23に対して発射命令が下された。しかし、その前にRTF(MiG-25 or MiG-31)は、ミサイルを既に発射していた。KAL007便は、発射されたそのミサイルを右旋回で避けた後、レーダーから消えた(ICAO報告書参考)。

乗員乗客がKAL007機内にいなかった理由

  1. ボーイング機のフロアが、下の燃料タンクが爆発しても突き抜けない構造であれば、機体がほぼ完全な状態で残されていたと言う話も大げさではない。他の航空機事故を参考にすると、21-33,33-46のシート番号の乗員乗客は、燃料タンクの大規模な爆発によって吹き飛んだと考えざるを得ない。衝撃が比較的少なかった席番は、プレミアム1-8,12-21と2階の71-89で、2Fの乗客が少なかったとしてもパイロットたちはどうなったか。生存の可能性が全く無い訳ではない。
  2. 海上での油の広がり方によるが、燃料の広がり方がアスファルト上と同じであれば、機体は海上に何分か浮きながらゆっくり沈み、脱出できた生存者がいた可能性の方が高い。機体はほとんど無傷の状態だったという事が知らされている。
  3. 水面や海面上での油の広がり方は、表面張力がかからないので風のように速い。所々隙間がでる一定の皮膜状の薄さで広がる。緩やかなうねりがあったり、物を投げると、いくつかの不定形の皮膜のように油面が分離し、移動する。
  4. 後から目撃した人の話によれば、「機内は油で浸されていたが、燃えた痕跡は無かった」。それは何故か。外側の海面が火の海で機内は燃えず、沈みながら油の浮いた海水に浸され、早目に火が消えたとしか考えようがない。海面の炎は、2007年の中華航空120便炎上事故に比較すると範囲が広く薄かったため、沈みながら30秒以内、早くて十数秒で消えたと類推できる。
  5. 第58千鳥丸船員たちは、「爆発後、しばらくしてから灯油の匂いが漂って来た」と語っている。その話から燃料タンクの爆発は、水中花火と同じような飛び散り方をしたと考えられる。火の消え方は燃料が四散した範囲に比例して早くなる。おそらく十数秒間の火事でチャイナエアライン120便のように長く燃え続けなかった。焦げ跡や火事の痕跡が無かったのは、火がすぐに消えたためという事になる。
  6. 結果的にはソ連と日本領海で発見されたKAL007乗員乗客の靴が、1983年9月26日(月)早朝、サハリン州ネベリスクにおいてソ連側代表者団によって合衆国・日本・韓国代表者団へ返還された。その後、北海道千歳空港で公開された213人分の乗員乗客の靴にKAL007機内の火事で焦げた跡や爆発で引きちぎれた靴が何足かにあったとしても、ほとんどの靴がそのままの状態で、爆発による傷跡が無かったという事実です。
  7. ソ連側のダイバーによれば、「海底に沈んでいた機内のシートベルトは、外されていた」という事が知らされている。
  8. KAL007の右後ろ10〜20mの箇所がミサイルの爆発によって穴が開き、燃料タンクが爆発したその2箇所以外、「ボーイング機は、最初はほとんど無傷で焦げ跡もなかった」というダイバーによる報告があった。

※その他、「ソ連空軍」と「ソ連防空軍」は異なっているので注意。




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(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007/Several viewpoints from Japan side,12 January 2014