2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

JAL123 航空機事故を参考(20)

航空機事故の機内状況が、その生存者によって記録として知らされる事は少ない。航空機事故の現実は下記のようであった。 日本航空123便墜落事故 1985年8月12日午後6時56分 高度7,200m 死亡520人 生存4人 墜落地点:群馬県多野郡上野村御巣鷹の尾根 JAL ボー…

国連裁判で「意図された領空侵犯」の判決理由(19)

国連裁判で「意図された領空侵犯」の判決理由 KAL007コクピットのミサイル攻撃される前の会話で「Thank you out.」と言った人は誰か。そしてその意味は何か。「ライナーでアウト」の意味があるが30年間引っ掛かりがあり、何が終了したか。野球の審判のような…

精神矯正収容所と精神医療(18)

北極海に面した北方シベリアでは古来からシャーマンの宗教的儀式にイボテン酸を含むベニテングタケが用いられていた。それは精神に作用する薬物LSDで、微量であれば心地良さがあり、少し多くなると幻覚作用ある。 LSDは、1953年にカナダで開発され、囚人の社…

ラリー・マクドナルド議員の運命(17)

ローレンス・ラリー・パットン・マクドナルド議員の消息 Lawrence Larry Patton McDonald 1983/His face-photo on News paper 1983/From the video scene of ①Chukotka EALAT Info,March 2008(元合衆国の乗客)1985~1990年頃撮影 ②民間人捕虜たちを載せた…

アブラハム・シフリンの再調査-2(16)

アブラハム・シフリンとリサーチセンターの情報 KAL007で生き残った乗員乗客が救出された結果、サハリンKGB基地へ連行されたとシフリンは断定している。1983年9月4日までサハリン対岸のシベリヤ本土ソビエツカヤ・ガバンKGB基地へ連れて行かれた。その場所で…

アブラハム・シフリンの再調査-1(15)

1993年まで、KAL007の乗員乗客は全員死亡とロシア共和国大統領ボリス・エリツィンによって宣告されていたが、アブラハム・シフリンはKAL007便の生存者がいる事を告発した。シフリンの話によれば、乗客はKGBによって捕らえられ、荷物と一緒に矯正収容所へ連れ…

KAL007事故後の遺体処置_推理(14)

日本の遺族とロシア海軍による残骸掘り起こし1993年 捕虜収容所日本人墓地2007年8月1日 戦時下における特殊法令の場合、機内に残っていた乗員乗客の部分遺体は、9月4日から6日以内に網に集めてモネロン島で火葬した。機内にあったバッグや手荷物、衣服内のパ…