JAL123 航空機事故を参考(20)

 航空機事故の機内状況が、その生存者によって記録として知らされる事は少ない。航空機事故の現実は下記のようであった。
日本航空123便墜落事故
1985年8月12日午後6時56分 高度7,200m 死亡520人 生存4人 
墜落地点:群馬県多野郡上野村御巣鷹の尾根 JAL ボーイング747SR-46
落合由美さんの証言 吉岡忍「墜落の夏」新潮社出版/引用と要約

  1. パーンという、かなり大きい音がしました。ピストルの音のようなバーンではなく、*1高めのパーンという音です。耳を押さえたくなるような音です。
  2. 音は私の後ろ天井のあたりからしたようです。そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。
  3. パーンという音と同時に白い霧のようなものが発生しました。かなり濃くて前の方が薄っすらとしか見えないほどです。その白い霧は数秒で消えました。機内の空気の流れや抜ける音は、ほとんどありませんでした。
  4. パーンという音と同時に酸素マスクが自動的に落ちてきました。ジャンボ機は2席に3つのマスクが一斉にバウンドするように落ちてきます。それを引っ張ると酸素が流れ出し、口もとの袋が膨らむ。酸素が出ないマスクもありました。
  5. 同時にアナウンスで「ただいま急降下中。マスクを付けてください」と、日本語と英語で放送されました。
  6. 「タバコをすぐ消してください」のアナウンスはありませんでした。しかし禁煙ランプのサインが自動的に点灯しました。
  7. 破裂音の後、*2「うわっ」「きゃ」という、一瞬、喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。耳は痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗った時のような感じ、しかし、それもすぐに直りました。
  8. 酸素マスクのチュウブは3列のシートまで伸び、スチュワーデスがマスクを着けたまま見回り、他の客のマスクを直していました。
  9. トイレのドアは閉まっていました。その上の*3横長の天井壁(91x182cm)がすっぽり外れていました。壊れたというより継ぎ目が外れた感じで、パネルはどこへいったか解りませんでした。
  10. 壁のはずれた外側に厚地の布が、運動会のテントの生地のようにひらひらしているのが見えました。それが破れた布ではなく、風にあおられていました。そこから外の青空は見えませんでした。その布は機体の内側の壁に付いているものらしいです。
  11. もうひとつ、座席から天井を見ると、整備用の50cm四方の長方形の穴の蓋(排気口とダクトスペース )が開いているのがこちらの方から見えました。
  12. 「座席の下にある救命胴衣を取り出して、着けてください」と、スチュアーデスから指示が出ました。(脚注:救命胴衣ライフジャケットは、ひもを引っ張ると二酸化炭素で膨らむベストで、着水後に膨らませる。着水後に膨らませなければならない理由は、一旦膨らませてしまうと体を前に曲げて膝の間に頭を入れる安全姿勢が取れず、体を曲げられなくなるためと言われている。体を曲げないと衝撃の時に顔や頭が最も危ない。ライフジャケットは、海上で体を浮かせるための救命具だが、クッション代わりにも使用できそうなので間違いやすい)
  13. 救命胴衣を着けた後、ひもを引っ張り、すぐに膨らませてしまった人が何人もいました。
  14. 機内はいくらかの空席があり、救命胴衣を着けている間に空席を詰めて客が固まるように移動しました。「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」と、スチュワーデスに男性が不安そうに聞いていました。スチューワーデスは、「絶対大丈夫です」と答えるしかなかった。揺れが激しくなると、「足首をつかんで頭を膝の中に入れる!全身緊張!」「--して下さい」とは言いませんでした。上下の揺れではなくものすごい揺れでした。
  15. そしてすぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいです。頭の両脇の髪が後ろに引っ張られる感じでした。もう思い出したくない恐怖です。これはもう死ぬ。振動は無く、真っ直ぐ落ちていきました。
  16. 衝撃は投げ出されたような感じです。激突の後も安全姿勢をとっていなければいけないですが、私はもう怖くて顔を上げました。その途端、顔にはいろんな物がぶつかってきました。硬い物、砂のような物がいっぺんにです。激突後、埃が舞っているようでした。目の前はもやーとしているだけです。すごく臭かった。機械室に入った時のような機械の匂いです。座席に座っているような姿勢でしたが両足が挟まれ動かせません。目に砂がいっぱい入り、左の目が飛び出したように熱く感じました。はあはあと息をするだけで死んでゆく直前なのだとぼんやり思っていました。
  17. その時考えたのは早く楽になりたいという事です。死んだほうがましだと思って、私は舌を強く噛みました。苦しみたくないという一心でした。しかし、痛くて強くは噛めないのです。
  18. 何人か生きていました。子供の声もしました。暗闇の中からヘリコプターの音が聞こえ、明かりは見えませんでしたが、すぐ近くまで来て、段々遠くへ行ってしまいました。多分それから私は眠ったのです。次に気づいた時は、ヘリコプターの風と音と光が目の前にあふれていました。

 救助隊は翌朝到着し、事故現場は身元が判明しないほど悲惨さを極めた。木の枝に体が刺さっていたり、重圧で2体が1体にめり込み合体したり、腹部のシートベルトから体が分断され、頭部は前座席に打ちつけられて形として残っていない。歌手の坂本九の遺体は胴体のみだった。機長の遺体は、前歯5本の付いた下顎のみであった。
 遺体搬出は8月14日から始まり、墜落現場から45キロ離れた群馬県藤岡市市民体育館へ自衛隊や警察ヘリコプターで運ばれた。遺体総数は2,065体、520人の犠牲者のうち、5体そろった遺体は177体。アメリカ人乗客1名と外国人1名の遺体は判別不可能だった。(乗員乗客リストは、外国人が何人いたかはっきりしないので、Web上で公表されるべき)
 事故原因は様々な説があり、航空事故調査委員会とNTSBアメリ国家運輸安全委員会は、機体後ろの圧力隔壁の修理部分が不適切だった事による金属疲労であると結論した。


 しかし、落合由美さんが伝えた機内状況から考えると、トイレの上の空気取り入れ口が直接的な原因となる。飛行経路上からシール・リテーナ(1mX20cmX10cmと2mX20cmX10cmの金属リム)2本とプレッシャー・リリーフ・ドア(1.0mX1.0mX20cmの金属)、海上からAPUダクト(空気取り入れ口1.7mX1.5mX1.5m)と壊れた垂直尾翼の部分が回収された。トイレの上にあった空気取り入れ口付近の外壁が2mX1.5m以上剥がれ、外壁が固定されていたシール・リテーナ2本の金属リムが、風にあおられ引きちぎれた。2mと1mのリムが固定された外壁が真後ろに飛び、同時に1.5m四方のAPUダクトも吹き飛び、垂直尾翼に命中した。後ろにある1m四方のプレッシャー・リリーフ・ドアは、その時の激突ショックで剥がれ飛んだ。垂直尾翼がほとんど破壊されたため、操縦が利かなくなった事故と考える事ができる。最も後ろにある圧力隔壁が壊れた場合、急減圧と気温の急低下により乗員乗客は気絶するので、事故調査委員会と安全委員会の結論は、間違っていると考えられる。

*1:剥がれた外壁が垂直尾翼に当たった音。同時に剥がれた外壁に固定されていた2本の金属リムが垂直尾翼に激突し、壊れた音。

*2:解説2:トイレの横長の天井板(91X182cm)が急減圧で外へ飛び出すほどであれば、外側の剥がれた壁の面積の方が大きい。さらに「うわっ」「きゃっ」という客の声が聞こえたのであれば、大人と子供の親子、あるいは男性と女性の2名が2つのトイレ内にいれば、ドアが閉まっていたので、吸い込まれるように外へ吹き飛ばされたかも知れない。

*3:解説3:横長の天井板とその外壁が剥がれ飛び、尾翼に当たっても壊れる厚さではないので、硬いフレームかリム(シール・リテーナ)が付いた外壁。