中沢建志Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1)

中沢建志Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1)
25 才, 1982年12月28日
 中沢建志は、1958年、神奈川県で生まれた。彼は、16才から東京池袋のSuidobata美術学院夜間部に通っていた。東京芸術大学を受験するため、そこで木炭デッサンや油彩画を学んだ。中沢は実技と学科の模擬試験で夜間部で首席になった事もあったが、結局の所、現役で武蔵野美術大学に入学せざるを得なかった。
 20才の夏、彼は初めてヨーロッパ旅行をし、各国の美術館や所蔵展示作品を鑑賞した。大学を卒業した後は、神奈川県綾瀬市の中学校美術教師として勤務していた。そして1983年の夏、ニューヨークに在住していた服部次夫のスタジオを訪れ、美術館やマンハッタンの多くのギャラリーを隈なく回り、様々な事物を見学して帰国した。その帰路の途中、1983年9月1日夜明け前、KAL007便の領空侵犯により、ソ連極東防空軍Sukhoi-15TMのミサイル攻撃を受け、若くして亡くなった。 
 その事件の後、生存の可能性とその背景について様々な疑惑があるにもかかわらず、KAL007大韓航空機撃墜事件に関して事実が隠蔽されていたが、1997年8月、ソ連防空軍極東司令本部は、ニューヨークタイムズのインタビューによって、その事件の真相を表明。
 中沢建志の作品は独立美術協会とNHKによって録画され、テレビ番組で放送された。
20才の自画像,油彩画,F15,1978
1990 中沢建志による油彩画と彼の部屋がTV放送される。
1983 9月1日未明、KAL007大韓航空機追撃事件によって25才で死去。
1983 夏期休暇の間、アメリカ合衆国へ旅行。
1981 独立美術協会展でF100号の油彩画が入選。
1980 神奈川県の中学校に美術教師として勤務。
1980 武蔵野美術大学から芸術学士取得。
1978 ヨーロッパ各国の美術館、ロシア・エルミタージュ美術館などの所蔵展示作品を鑑賞するため海外旅行。
1976 武蔵野美術大学造形学部油絵学科入学
1974 すいどーばた美術学院夜間部受験科入学。
1958 神奈川県生まれ。

Takesi Nakazawa 22 ages,1980 中沢建志