ブラックボックス・CVRボイステープの信用性(10)
Black-box:航空機用ブラック・ボックスは、目立たないように工夫され、最大400時間以上収録する事ができる物もある(航空機用は現在2時間以上)。奥がコクピット・ボイス・レコーダーCVR、真中がフライト・レコーダーFDR
KAL007後部化粧室の上に設置されてあったブラックボックスのボイステープは、初めソ連が入手し、9年間所持している事を否定していた。その後、国連部局ICAO(国際民間航空機関)に渡され、フランスのBEA(飛行機事故調査と安全飛行勧告部門)で解読するように、このテープの調査が依頼された。ソ連がロシア共和国に変わり、ボリス・エリツィン大統領がフライトレコーダのテープFDRとボイステープCVRを国連に提出した物で、このテープはさらに何本か複製され、ダビングされている。ロシア共和国はオリジナルテープを所有し、BEAはその複製を後から再調査できるように何本も、さらに国連でもこのテープの重要性を考慮し、何本か複製している。コリンズ社のこのテープが合成されたものか、信頼できるものか、雑音箇所なども可能な限り調べられてある。
Boris Yeltsin and Bill Clinton,1999
<ブラックボックスのフライトデータとボイステープから確認できる事実>
- このテープの音声が、本人のもので、他の誰かによって芝居として作成された声ではない。
- JST 03:27:46秒以降の記録が故意に消されている。コクピットの会話はJST3時1分3秒から始まり、3時27分46秒で録音終了。ボイステープの録音時計が調度1分間進んでいて3時1分に始まり3時31分に終了すると、最後の3分14秒間のボイステープがカットされている事になる。
- ミサイルの爆発時間と東京管制塔への連絡時間や内容に関して一致しているので、このテープ内容を修正したり調整する必要はない。
- 調整や変更をすることによって得られることは、このテープの信頼性を意図的に無くす目的と考えられる。
- アンカレッジ出発後の雑談は他のテープに録音されている。プロダイバーのバディム・コンドラバエブ(Vadim Kondrabaev)はブラックボックスを9月15日、海底で発見した。
- 救難信号は同じブラックボックスに納められており、沈んだ機内に1個残されていたおかげで、ミルチンク号がボーイング747の海低位置を発見する事ができた。
- ボーイング747の遭難信号発信機はブラックボックスの中にあり、「ピンチャー」と言われていた。9月1~9月15日頃まで約15日間発信し続けていた。
- ボックス内の発信機は、水面や海面に浸かると、自動的に遭難発信をする仕組みで、テープだけバッテリー(電源)が切れるという事はない。
- この当時のボイスレコーダーとフライトレコーダーのサイズは、長さ約44cm、重さ12.8kg。耐熱温度は1100℃で30分間その機能を維持することができる。製造年代と種類によって大分異なるが、当時の相場で1台約180万円と高価な物であった。設置場所は秘密にされ、ボーイング747の左最後部のトイレや化粧室の上、あるいはコクピットに設置される場合もあり、一定の設置場所ではない。ブラックボックスの名前は、中の仕組みがテレビのように一般的に理解しずらい仕組みの箱という意味で、そのように呼ばれている。
- ボーイング747-230Bに搭載されているブラックボックスは、30分間録音が可能で、それ以降は自動的に最初に戻り上書きされる。大韓航空からは、ボイスレコーターとフライトレコーダーの2つと連絡を受けていた。大韓航空かソ連KGBがあえて隠した個数か、誰も解らない。着陸1時間前からの場合、ブラック・ボックス4セット8台。ブラックボックスの個数がはっきりしないのは、KGBによる秘密作戦のひとつであったためと考えられる。
- JST3時32分は、KAL007が追撃機2機に追われ、右旋回で雲の中に隠れる直前の高度5,000m上空モネロン島北東5km以内だったため、3時27分から何も話さなかったと考える事ができる。それ以降はもう一つ別のボイステープという事になるため、不時着水前後のテープは無かった事になるか、ロマネンコ将軍が早期に取り出したブラックボックスの中に3時31分以降のボイステープがあるかも知れない。とにかく、このテープは、午前3時31分で終了しており、その時のKAL007は高度5,000mのモネロン島上空を飛行していた。海面への不時着水は、3時45分前後と考えられている。
- ソコル防空軍基地のレーダー、ソ連国境警備艇のレーダー、稚内自衛隊基地のレーダーには、JST3時33分まで機影が映っていたが、突然消えたと、報告されている。その時はKAL007はモネロン島5,000m上空を飛んでおり、右旋回で追撃機のミサイルを逃れ、雲間に突入する直前だった。
- 理論的に考えると、離着陸前の1時間は録音が必要なため、この当時1台30分の場合、合計4セットのブラックボックスを設置していた事になる。4セット8台の内、2セットは後部洗面所の上。残り2セットはコクピット内に置かれた事が予想される。この当時以前は、ハイジャック事件が多発していたので、4セット8台は最低限必要とされる。設置場所は様々で通常極秘にされているが、ドアの脇に設置される事もある。
- ダイバーたちにはブラックボックスが機体後方に2つある事をあらかじめ知らされていた。もう一つのブラックボックスはカメンスキー中将が発見し、その発見について誰にも伝えなかった。そのためバディム・コンドラバエブが発見したひとつのブラックボックスで終了ということになった。KAL007コクピットのブラックボックス2つはロマネンコ少将が事故初期に取り出しているので合計4セット8台という事になる。
- KAL007が不時着水した地点から西側の深い海域500~1000mで、最初にアメリカの潜水艦と潜水艇によってブラックボックスが発見された。そのうわさが、ソ連ダイバーたちの耳に入り、その後の9月15日、コンドラ・バエブが2つ目のブラック・ボックスを発見した。それでコンドラ・バエブが「終わりだ」と言ってしまった。実はアメリカ側が発見したものは、シドロフ提督による「おとり作戦」で使われていないブラックボックスだった。アメリカ側は、その解読に日数がかかるため、本物と思い込んでいたと思われる。
- カメンスキー中将がブラックボックスを1つ発見したと言うのは推測だが、2ヵ月間でこの仕事が終了したと思えても、まだ1台見つからなかったため、サハリン全世帯に1枚の注意書きが配られた事があった。その注意書きは、ブラックボックスのこのような形状の箱を見つけた人(漁師)は、警察署へただちに届け出る事を内容としたものだった。終了後も頑張った地元の漁師が見つけた物は中身のないケースと解説書だけだった事が知らされている。最終的に1個CVRとFDRが不足の状態でブラックボックス探しは終了した。1セット2台で約20kgの重さだった。
- 最後のひとつが必要であれば、くまなく探すはずでFDRひとつであれば、必要価値が少ないので放置するはず。サハリンでチラシを配って探した物は、CVRであった可能性が高い。FDRで必要な所は、KAL007着水間際の低空飛行フライトデーターで、それ以外はあまり価値観はない。そのFDRによって海面に激突かソフトランディングで着水したかの証拠となり、乗員乗客の運命もはっきりする。ただし、高度100m単位か高度10m単位か、どちらにしても低空飛行は、高度0mの横線と平行して判別しずらい状態かも知れない。そのFDRをソ連は隠し、KAL007は海面に激突した物と見なし報告した。
- 9月1日朝、アンドロポフKGB書記長とソ連軍元帥3名は、極東軍司令官トレチャクから「ボーイングの不時着水と乗員乗客が無事だった事」について既に連絡を受けていた。
- 9月1日未明、ソ連参謀総長オガルコフ元帥は、「ブラックボックスの取り外しとボーイングを海底に沈める方法」についてロマネンコ少将へ無線で指示を出していた。そして、乗員乗客は「外国民間人捕虜」として扱う事にし、表向き諸外国には「乗員乗客は全員死亡」「ブラックボックスは、ひとつも見つからなかった」とソ連タス通信で公表し、アメリカ人を騙す作戦でいた。
- オガルコフ元帥は「韓国機の飛行は挑発が目的。アメリカ軍の指示によるものだった」、「定期航空路線から500kmも北方へずれ、ソ連領空を侵犯したとする事実」を主張し曲げなかった。「その証拠となるアメリカ軍の資料は、何も見つからないだろう」と、1991年再調査の際、イズベスチア記者と編集長アンドレ・イーレッシュに語った。
燃料タンクが爆発して機体下部の外壁が壊れても、ジャンボジェット機ボーイング747の1F2Fと操舵室は爆発せず、1F天井まで後ろから沈みはしたものの、しばらくの間(5分~10分)海上に浮かんでいた。その間、正常にブラックボックスが作動していた事は、その後の航空機事故例を調べ、比較検討すれば、はっきり判る。
ソ連側ではこのテープを修正する事で、信用の無い物にする事ができる。そうする事によって「スパイ幾説」の反証となるソ連政府軍部とKGBに不利になる事実を隠すことができる。ソ連政府はオリジナルの未修正ボイステープを持っている事が十分に考えられ、それが、この事件の証拠となる鍵を握っていた。ソ連がロシア共和国に変わった後、KAL007のコクピット・ボイステープをロシア政府が所有し、隠し持っていた事実が国連に発覚。ロシア共和国大統領ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィンによって、そのテープ(未修正オリジナルか、終盤を削除したコピーか不明)はICAOへ提出された。
U.S.A.President Ronald Wilson Reagan
KAL007事件に関してアメリカ合衆国ロナルド・レーガン大統領は、ソ連政府に対し、「うそつき」「悪の帝国」とののしり、「まさにスターウォーズだ」と記者会見で公言した時もあった。アメリカ人の話で、合衆国ではロシア語、スペイン語など5ヶ国語が選択科目で、ロシア語を学んでいる学生が比較的多い。ソ連では英語が必修科目だった。
ソ連軍部上層の指導者や管理者は、核実験が拡大化してゆくのを目の辺りに観察してきた世代で、人命に対する価値観が民間人と異なっている。旧組織の中では能力や機能が行動心理学的に優先される。アメリカ軍捕虜が、その実験台に使用されていたのではないかという懸念が、合衆国軍部の核実験見学情況から予想されていた。放射能の危険度や遺伝する程度を調べるため、半ば実験台にされていた兵士も多かった。参謀や将軍クラスは、核実験がある度、それを鑑賞してきた世代で、いわゆる創造、生産の反対にある破壊、壊滅の世界であった。
しかし、ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフとロナルド・レーガンの首脳会談により、1987年12月8日、「中距離核戦力全廃INF条約」が締結され、冷戦が一旦おさまったように民主主義、自由主義国からは見える。
ソ連側では、「KAL007の乗員乗客は全員死亡」と事件後間もなく報告公表しているが、その根拠となる事実と経過、証拠が隠され、明らかにされていない。KAL007事件で乗員乗客はどうなったか、生存者はいたのではないかという真相究明の問題は解決されていず、閉ざされた状態のまま放置され現在に至っている。KAL007爆発後の仕事にあてられたソ連の3隻の船とモネロン島の作業報告書、撮影された写真やビデオが公表されれば、この事件は具体的にはっきりするはずである。
機内会話(その2)の録音は、ソ連政府と参謀本部、KGBに不都合な箇所が部分的に無いため、最後の個所以外無修正と考えられる。解読不可の所は、意図的に何かで擦られ聞き取れなくされているか、マイクロフォンの性能が悪かったか不明。記録テープとしての役割上、製品価値として粗悪録音という事はない。解析可能なテープだったに違いない。3時18分06秒に介入したモールス信号の内容は、解読可能箇所で知らされていない。そのモールス信号が増幅し、その後の1分34秒間が解読不可になっている。しかし、後から「警報用モールス信号を電波で発信した」とオシポビッチ防空軍少佐はさらに細かく朝鮮日報特派員に状況を説明した。
ソ連当局は、「夜間、領空侵犯したスパイ機を撃墜し、海面に激突して粉々になった」「機体の中には誰もいなかった」と国営放送しており、オシポビッチ防空軍少佐とソコル防空軍基地の無線を傍聴していた内容から、「大韓航空機KAL007はソ連機によって撃墜された」と日本政府と合衆国政府が判断して報道された事件であった。ソ連側では、初め撃墜を否定していたが、9月5日、国連で合衆国側が撃墜した時の交信テープを英語訳テロップテープとして公表したために、大韓航空機KAL007が撃墜された事件としてテレビや新聞で報道された。しかし事実、雲の上ではそのように見えていたが、エンジン4基が正常だったため、手動操縦によって雲の下で低空飛行し、海上に不時着水。燃料漏れをしていたため、燃料タンクに引火して大爆発を起こした。雲から下の降下から爆発までの状況を日本のイカ釣り船乗組員8人が目撃していた。
民事ではどこまでも真実が追求される。しかし、冷戦下の軍部では行動心理・社会心理が優先され、結果のために様々な作戦が練られた。ソ連最上層部では、アメリカ人をいかにしてだますか、参謀本部作戦会議が開かれていた。当時のソ連は冷戦軍事体制下にあり、秘密警察KGBが政治的に有力だった。勝つための結果が良ければ、おとり、見せかけ、罠、隠蔽は、作戦として重要で必要な事であった。
国連の要請により、ロシア大統領ボリス・エリツインによってICAO国際民間航空機関に渡されたKAL007のフライトレコーダーとボイスレコーダーは、外見が海水に浸かった痕跡のあるボックスか、新品のボックスかまではICAOで公表していない。中身のレコーダー自体はダビングコピーして入れ換える事が可能で、その時に不時着水前後のフライトレコーダーテープとボイスレコーダーテープをカット(又は消去)し、ダビングコピーした2つのブラックボックスが返還された。その結果、旧ソ連政府当局は、「パイロットたちが酸素マスクを外した後から、海上に不時着水し、機体が海面下に沈みELT自動遭難信号を発するまで」の元々の未修正記録テープを所有し、保管隠蔽している事になる。
オリジナル原本が一つしかない報告書や重要書類などは、コピーが渡される場合が多く、ソ連政府の参謀本部会議やKGB委員会等では、そうする事が当たり前だった。
この時期、国連がブラックボックス(ボイスレコーダーとフライトレコーダー)の返還をソ連政府に要請したとしても、オリジナルかダビングコピーかは指定しなかった。この場合、着水前後が含まれているオリジナルを返還するはずがなく、テープの最後の個所をカットして取り外し、他のレコーダーに保存した可能性が高い。
事故や遭難等で海水に浸かったブラックボックスの中身は、海水を入れたクーラーボックスの中に浸けた状態で箱ごと運ばなければ酸化して変色劣化しやすい。オリジナルを保存したとしても、新品ダビングテープより経年劣化しやすいため、予備に1台か2台コピーする必要があった。
テープをカットするより「消去して最後の個所まで回した」方がこの場合は無難。結果としては、最後の個所約3分間を消去したダビングテープが返還された事になる。
どこに保存したかは、当時の旧ソ連軍部とKGB書記長しか知らない場所か空調設備の整っている軍部用保管倉庫で、ロシア大統領専用の金庫や保管倉庫と異なっていた。KGBと軍部が管理する資料倉庫については、年期が限られている大統領には知らされていない。
9月9日、オガルコフ参謀総長によるモスクワ共同記者会見で「夜間侵入機を撃墜した」事が正式に報道された後、ソコル防空軍基地には、ソ連最新鋭戦闘機Mig-31が配備され、「ソコル防空軍滑走路沿いの戦闘機がいつの間にか一新されていた」オシポビッチ防空軍大佐HP談。
合衆国では、1988年まで存在自体が極秘扱いされていたネバダ州ゴーストタウン、核実験演習場トノバー空軍基地米空軍42号_ロッキード工場10号_で開発されたステルスF-117ナイトホークのテスト飛行を1982年に終了し、トノバー空軍基地に配備され始めていた。ステルスF-117は黒色で、レーダーに映らない又は映りづらい戦闘機兼爆撃機だった。ステルス機は、雲の上を飛行すれば、地上レーダーに映らない。しかし、ソ連宇宙船ミールと人工衛星によって捉えられるか、解らない状態だった。レーダーセンサー付小型衛星は、2018年1月ノルウェーが打ち上に成功している。
(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007, 2012-2024.8.25-