KAL007事故後の作業(5)
ボーイング747の離陸
<KAL007フライト事故情況の真実>
ブラックボックスのテープ内容からKAL007事故情況の事実がはっきりする。
9月1日3時00分 3人のパイロットたちは既に起きていた。「秋には1日休んでソラク山へ紅葉でも見に行きたいなあー」と、英語で雑談。
JST3時00分36秒(UTC18:003)、機内で英語、日本語で到着予定時間が放送される。"Good morning ladies and gentlemen, we will be landing at Seoul Kimpo International Airport in about three hours. Local time in Seoul right now is 3 A.M. before landing we will be serving beverages and breakfast. Thank you" おはようございます皆さん。あと3時間ほどでKimpo国際空港へ到着します。現在、ソウル時間で午前3時です。着陸前にお朝食とお飲み物のサービスを致します。この度はご搭乗ありがとうございました。
機内放送を聴いた後、機長チョン・ビュン・インは、「何度も言うと嘘になる」「良い事を何度も聞くと悪くなるんじゃないかな?」という話を他のパイロットにしていた。
日本時間夜明け前3時ごろ、パイロットたちは機長に朝食をどうするか訊ねていたが、後で取る事にした。3人のパイロットたちは、Su-15TM警告、旋回、250発の徹甲弾、追撃、ミサイルの発射に気付いていなかった。迎撃戦闘機が操縦席前方を通り過ぎた状態と旋回した様子を見ていたが、警告誘導をしているとは思っていなかった。 ミサイルが命中する前に高度警報が鳴った。ミサイル2発のうち、赤外線式ミサイルがはずれた。
東京管制塔へHF(High Frequency)で連絡中、レーダー式ミサイルが後ろで命中。高度警報が鳴る。機長やパイロットたちは、爆発音とその衝撃に驚き、事故かミサイルが命中したか解っていない。この会話の最後まで領空侵犯とコース逸脱に気付かなかった。北海道南側と予想していた。ジェットエンジンは4基正常だった。油圧装置第1第2第3が故障して第4が正常だった。爆発後、43秒間上昇し、直立した後9秒間急降下。手動モードのスイッチが入り、8秒間機首を上げ水平飛行。
ソ連領サハリン・ソコル基地のレーダーによれば、13,542m以上まで上昇したと英文でICAOに報告されている。北海道稚内自衛隊基地レーダー記録によれば、爆発後、10,668mから11,735mまで上昇。
東京管制塔(Tokyo Air Traffic Control)によるKAL007のフライトレベルは、爆発後10,058mから10,668mまで上昇したことを明らかにした。その違いはなぜ発生したか、高度2,000m付近の水蒸気雲の角度と屈折によって、レーダーに高度の違いが生じたのではないかと考えられる。電波は水蒸気に反応しやすい。あるいは、気圧のために高度にズレが生じた。高度計には気圧高度計と電波高度計があり、この場合は電波高度計で電波の反射時間により飛翔物の距離と鉛直高度を測定することができる。
CIA報告では9,144mに3分間いたとされている。
機長が言っている爆発68秒後の「急速圧縮」「全圧縮」とは、ジェットエンジンのパワー圧縮のことで、機内空気の圧力と異なっている。機内アナウンスがコクピットでも流され、日本語で一回「緊急降下します」、そのあと英語で、"Put the mask over your nose and mouth and adjust the headband. " 「マスクを鼻と口の上にかぶせ、頭のバンドを調整して下さい」と繰り返し放送される。パイロットたちはマスクをしてから会話をしなくなった。操縦席フロントガラスは、口径25mm徹甲弾で撃たれていない。
<機内客室と乗員乗客の状態>
ライフジャケット(救命胴衣)は、水平飛行の時に装着するように指示される。しかし1室の乗客全員が座席下の救命胴衣を着け終わるまで10分かかる。急減圧下で頭が朦朧として間違い誤動作が多い。
酸素マスクは飛行機が急降下した時、自動的に降りる事になっている。しかし作動せず降りなかった事故もある。高度13,000m以上の急減圧の場合、体が麻痺して数十秒で動かなくなる。酸素ボトルは18分ほど持つが、マスクが降りない時、緊急の場合は、酸素マスクの管を通さず酸素ボトル(ボンベ)を直接吸うことができる機種もあるが、時代によって改良されつつあるため、一定の様式ではない。
機内に白い霧が発生し、音が聞こえず見えなくなり、酸素を吸わなければ気を失い死亡する。缶ジュースや缶ビール、ペットボトルは破裂し、お菓子袋は丸くなりパンと破裂する。気圧により救命胴衣も膨らむ。動きはスローモーションのようになり、腕や脚が思うように動かせなくなる。
前の席の方は空気が抜ける激しい音と軽い物が全て舞い上がり、機内を飛び交う。
救命胴衣は座席の下にあり、手を伸ばして引っ張る動作が大変になる。紐を引っ張ると膨らむようになっているので、ひとり膨らませると次々と膨らませる客が続出する。救命胴衣は座席では膨らませない。救命胴衣を膨らませると、体をひざの間に折り込み、安全姿勢がとれない。安全姿勢を取らなかった場合は、シートベルトで胴体が分断され、首から上が粉々に無くなる事が多いということが実際の事故やシュミレーションで知られている。
急に-70℃になるとヒリッとドライアイスに触れたような皮膚感覚の後、10秒過ぎると減圧で麻痺し始める。ドライアイスは-78.5℃で、紙か布で包み、手に持って運ぶ事ができる。寒さは何分もたたなければ感じない。
高度11kmは対流圏と成層圏の間で対流圏界面と言われ、-70℃前後。200hPaまでの急減圧の場合、15秒以内で気絶する。さらに死ぬと1分以内で凍る。高度11kmで250hPa、気温-50℃、通常の機内気圧785hPa。高度5,000mで-20℃。高度2,000m以下は水蒸気雲でおおわれ、0℃以上。海上は16℃。KAL007便は高度5,000mまで8分かかっている。レーダー式ミサイルが命中した高度は13kmで気圧は200hPa、平均気温-70℃前後。高度17kmで-80℃まで下がる時もある。
高度13kmは、120m/sのジェット気流が流れている場所もある。
爆発箇所は右後ろから10m付近。178cmの穴が開いた後、機体後部は爆発しながらカーテン、毛布、紙などが燃え上がった。強化ガラス窓の何枚かは、その爆風で吹き飛び、炎が窓から外へ抜け出る。
機内の炎は酸素欠乏で空気が送られる前に消えたか弱まった。
爆発後42秒間上昇し続け、その間、1F後部機内は燃え続けた。爆発後ほぼ垂直になるまで上昇したのは、爆発の反動による。自動操縦の状態で手動スイッチは入らなかった。
後部座席の乗員乗客は、爆発で何十名か死亡、急速な減圧と爆音、飛散物などが当たり気絶している。
機体の壁は、フレームやリムが厚いため、壊れ方が1.78mと小さかった。その代わりその穴からの爆風が激しいため、破片が飛び散り、爆発付近の乗客は体が切断されて吹き飛んだ。シートベルトは熱で溶け、吹き飛んだ窓ガラスと一緒に体が吸い込まれるように外へ飛び出した。
KAL007操縦士3人、客室乗務員(スチュワード、スチューワーデス)20人、子供22人、乗客218人、待機フライト職員6人、計269人。
<KAL007通常コースの場合>
KAL007機長Chun byung-in(千炳寅)は、機内時計と気象レーダーから、どの辺りを飛んでいるか見当を付けていたが、雲がかかっているため目視で確認できなかった。
通常コースであれば三陸沖から三陸近海上空。雲が無ければ10km上空から綾里崎(りょうりざき)の周りに黄色や青白い漁火が20隻〜30隻比較的くっきり見える。30km離れると漁火は蛍程度。約5分で石巻・松島・塩釜・仙台市上空を通り、街の明かりが高度11,000mから見える。
11,000mの対流圏界面は、東から西へ流れているので、わざわざ3,048m付近を低空飛行する必要はないのではないかと思える。雲がある場合、電波による通過地点を拾えない、あるいは目視で確認できない場合などの理由が考えられる。
高度11,000mまでKAL007が上昇したのは、三陸上空での騒音公害を弱めるためと燃料節約による。高度11,000m以下の対流圏は韓国から太平洋側へ風が逆に吹いているため、対流圏界面まで上がらなければ抵抗がある。対流圏界面から成層圏は東から西への気流で追い風になる。3,048m上空の場合、ジェットエンジン音で住民の目が覚める。
残りのブラックボックス2個のうち、1個は第2地点で9月10日から海軍ダイバーと一緒に仕事を始めた民間プロダイバーのバディム・コンドラバエブが海底で1個見つけ、船上に撮影用具と一緒に置いていたが盗難にあってどちらも紛失した。もうひとつは箱だけ、サハリン西海岸の漁師が残骸のある海底で発見し、サハリンの地元警察署へ届け出た。
KAL007ボーイング機には2階があり、この日のファーストクラスは空席が多かった。考えられる事実は、けが人を含め、高度5,000mの水平飛行と高度500mの水平飛行の間に、2階の座席が満席になり、海上に不時着水してから、残りの生存者全員が2階へ上がった。それから2階の緊急用ドアを開け、そこから横付けされた警備船へシューターで滑り降りれば、かなりの早さで全員移動する事ができた。KAL007の不時着水の場合は、この方法に尽きる。その場合、両翼の真ん中の燃料タンクが爆発して、外側の海面が数分間炎に包まていても、乗員乗客は救出されたはずと考えられる。
ソ連領空外に出てから11,000m上空で爆発した後、高度5,000mの水平飛行の時に、操舵室入口ドアの呼び鈴が3回鳴った事はブラック・ボックスに録音されており、数十人の乗員乗客が2階へ移動した事は事実であった。2階へ上がる際にコクピットドアの呼び鈴を鳴らしたのはスチュワードやパイロットたちで、鳴らしてもコクピットのドアは通常開けない事を知っており、客室に生存者がいて2階に移動する事を知らせていた。
ボーイングジャンボ旅客機2階の乗員乗客が自動的に膨らんで下へ広がるシューターで全員沿岸警備船に滑り降りてから、ロマネンコ少将は機長と思える責任者に、「他にはいないか、1階に残っている人はいないか」、英語で聞いたはずであった。その時、機長は英語で"No, survivor"生存者無しと答え、身元を証明するためKALパイロット手帳も渡した。水平飛行中にエコノミークラスを確認した帰省パイロットたちの内、誰かがチュン機長にボーイング(ジャンボジェット)機の2階で既に「1階後部座席には死んだ人たちしか残っていない」という事を知らせていた。
当時のKALパイロットたちは、韓国国内に航空学校が無いため、アメリカ(USA)空軍付属航空学校で学び、パイロット試験などもアメリカで受け、さらに空軍パイロットから民間パイロットになった人も多かった。チュン・ビュ・イン機長は、元韓国空軍大尉で韓国大統領専用機の待機パイロットであった。
(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007, 2009-2024.7.16-