消えた乗員乗客(11)


燃料タンク内のガスが噴出して燃えている墜落飛行機
"But there was no fire in the Boeing - that is for sure. Things ware intact, although all thoroughly saturated with kerosene" Izvestia 6 February 1991.
「しかし、ボーイングに火事はありませんでした。それは確かです。 全てがケロシンですっかり浸されていましたが、機体はそのままの完全な状態でした」

  1. KAL007事故現場の初期の目撃者によれば、このような不思議な話があり、長い間何故?と気がかりだった。ロンドンの保険会社スチュワート・ライトソン社による戦時保険に関わるデマゴジー(demagogy)にしては、動機や背景に不思議さがある。海上に浮かばせた状態で機内の海水を外に抜き出し、ボーイング機内に入り、確認のため調べた様子を思わせている。
  2. この目撃談のThingsは機体内部のシートや備品、機体部分で、この場合はボーイング機が壊されていない時の引き上げ当初の状態を言っていることになる。持ち出された機体部分に焦げた跡が無く、「焼けた痕跡がある」という報告や話が少ししかない。燃料タンクに近いランディングギヤ付近の機体破片と右後ろのミサイル爆発付近以外、焦げ跡がない。しかし、外観は焼けていないが、機内の中部と後部座席、天井裏は、1分近く燃え続けていたので焦げていたはず。機体を海面に浮かせた状態の時、後部座席は海面下に浸っていたため、前の方と2Fまでしか見れなかったようだ。
  3. ゲオルギコズミン(トロール船)によってKAL007を海上に浮かばせ、海水を抜いた後であれば、事故現場の軍事機密立会い人として司令官と特殊技官、保険会社調査員たちと社長、KGB重役、ソビエト政府調査委員と検視官、検察官たちしか中へ入れない。さらに飛行機内の海水を機内1Fの下まで抜くのは、海上では無理なため、モネロン島北側の浜の浅瀬まで引っ張り、陸揚げしたのではないか。
  4. 実際、燃料タンクの灯油が水中花火のように周りに飛び散り、機内は何故か燃えなかったのではないか。両翼の真中の下にある燃料タンクの上のフロアが爆発で穴が開き、機内1Fの座席やフロアに石油が飛び散った事になる。ボーイング機は窓ガラスや非常口が壊れても完全であれば、浮くはずで、燃料タンクの上のフロアに大きな穴が開き、そこから海水が1F全体に勢いよく吹き出たため、爆発後、ほとんど同時に機体が沈み、機内の火が消えたと解釈する事ができる。後ろにはミサイルによる穴があいていたので全体が水没するのに20秒から60秒。後ろから沈む勢いで2Fまで沈んだ。外は火の海だったが、燃料タンク上のフロアから勢いよく湧き出た海水で、シートベルトを締めた死傷者以外の乗員乗客は、非常口から外へ流し出された。
  5. 私は、この不思議な目撃談の可能性をある程度信じる事によって、「海底に沈んだKAL007機内に、誰も居なかった謎」をこのように解釈するに至った。たったひとつの目撃談が消えた乗員乗客の謎を解く鍵になるとは、非常に長い間、思いもしなかった。


Boeing747-230 structure

  1. さらに気を付けて考えると、ひとつの状況で片付けられない。乗員乗客の場所によって、幾つかのケースに分けられる。後部座席のドアのところまで、ミサイルの爆発の後の急な減圧のためアナウンスが聞こえず、シートベルトを締めたまま血管が破裂して即死したり気絶し、焼死したあと凍結した客が100名ほどいたはずです。中部座席は着水時の爆発の破片でほとんどが吹き飛び、わずかに生き残った2Fと1F前列の乗員乗客は海面に浮いた油で呼吸できず溺死した。中部と後部座席で死傷、気絶した客は、座席にすわりながらシートベルトを締めたまま海底に沈んだ。
  2. KAL007水没数日後、流された場所で海面に浮いていたものであれば、ライフジャケットを着たまま遺体が浮くはずで、海上で発見された遺体に関してソ連側では依然「1人の遺体も人間も見つからなかった」と主張している。
  3. アクアラング・ダイバーと有人潜水艇の乗組員の話を合計すると、水没したKAL007の残骸のある海底に約10人分の遺体部分が発見されている。1人の遺体も見つからなかったというのは、初日早朝の水没現場付近の海上報告をそのまま伝え残しているのではないか。
  4. KAL007が水没する時、生存者が多かれ少なかれ居たとしても、機外に出ずに飛行機と一緒に沈んだのであれば、機体の後ろから沈む最中にシートベルトを外し、海面の炎の薄明かりを頼りに機内で前方へ浮かび泳ぎ、2Fへ上がれた人も何十人かいた。しかし2Fも沈むと天井にわずかに残っている空気を頼りに暗闇の機内でそのまま浮上した。しかし、ボーイングの2F天井に徹甲弾による穴が開いていたため空気が短時間しか残らず、海中は真っ暗で機外へ出られなかった。2Fで生き残っていた50名以上の乗員乗客は、外が火の海であれば、飛行機の天井裏で溺死、窒息死した。海の中は真っ暗闇だった。
  5. 9月1日の朝、どのような捜索と作業がなされ、どこまで可能だったか。1日の夕方から夜、さらに2日目の夜明け前、サメ対策としてどのような事がなされたか。放置状態であればサメに食われた可能性も考えられる。海軍が携った仕事内容に関しては、報告書を作成する必要が無かったか簡略化したため、海底のKAL007が発見されるまで写真や文書で作業報告を書き残さなかったのではないか。事故現場への到着時間までは記されているが、海底で最初に発見された時間と機内状態に関しては、要領よく空白にされている。CIAの報告書も9月1日から10日までの箇所が欠け、民間の目撃者談しか残っていない。
  6. 高度10,000mでミサイル爆発後、KAL007が11,000mまで42秒間上昇し続け、その間に酸素マスクが手動で下りたか、酸素ボトルを使用できたか、パイロット以外シートベルトを締めながら全員気絶したか否かで異なる。酸素マスクは急降下の時に自動で一斉に落ち、酸素が出ない時は、空いていれば隣のマスクも使用する事ができる。上昇中手動の緊急用ボタンがあるはずで、水平飛行中でさえ手動ボタンひとつで酸素マスクを降ろす事ができる。しかし急減圧の場合、温度降下が早い。しかも急激過ぎると何秒かで動けなくなる。機内の気圧が抜ける強風と壊れた窓からの-70℃の強風で後部座席の人たちはほとんど凍った。乗客室から操縦室への呼び出しは21秒後から31秒後まで計3回あった。しかし、31秒後は呼び出しの音がしなくなった。2Fと1F乗客室前室からの連絡だったのではないか。
  7. 機内に誰もいなかったという話は、12日後の後日談で、実際には乗客の多くが残り、9月1日と2日まで遺体を海の底で網に集め、モネロン島まで運び、戦時下の法律を適用して火葬した可能性が高い。無人島のモネロン島でなければ人が居るため事実が漏れやすい。ウィットな誤報として「サハリンのローカルな火葬場」と確認されずに報道された説もあった。
  8. 海軍であれば船長の権限で水葬(日本では禁止)ということも可能なようだが、民間人であれば死体遺棄になるので、身元確認と検死、死亡証明書などの手続きと書類も火葬する際には法律的に必要となる。本人写真の撮影、遺髪、遺品の保管をし、遺体が浮き上がらない処置をした上で相当の儀礼をもって行うことなどが条件としてある(各国によってある程度異なっている。日本では現在法律的に水葬が禁止されている)。
  9. 火葬場として整っている町であれば、ゴルノザ・ヴォーツクかネベリスク郊外の斎場しかない。北東にあるサハリン西海岸ゴルノザ・ヴォーツクやネベリスクは、町として人口数が多いため、電子機器やボーイング破片をヘリコプターで運び、証拠物件の検証場所として指定された(ネベリスク会場は電子機器類)ことは事実として報道されている。
  10. 海の底で沈んだボーイング機内を海底で片付けてから機体を浮かばせ、現場検証し、誰もいなかったという話にしたとしか考えようがない。
  11. 戦時下の場合、指令や伝達が単純化され、正確に伝えられるために誤報や矛盾、時間的な変化と複雑な状況が省かれる。隊の規律や信用を失うという事から最初の事故現場の海面の状況を押し通したのではないか。
  12. つまり、事故現場の検証の時に外国の民間人の遺体が機内に多く残されていると、それを目撃したショックで重大な国際問題となるので、9月1日から5日、この作業に携ったソビエト海軍救助隊、海軍機動部隊、海軍ダイバーには軍事機密として口止めし、メダルや記念品、感謝状と賞与金を給付して意図的に隠したとしか考えようがない。実際には9月10日以後しか知らされていず、9月1日から10日までは、現場の作業に携わった民間人による目撃談の断片からしか当時の状況が知らされていない。

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(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007/Several viewpoints from Japan side, 18 September 2009-2024-