KAL007乗客の行方:中沢建志

KAL007乗客の行方:中沢建志  

 KAL007の生存者がいるか、いないか。本当に全員死亡した事件か。はっきりしないため、仕事に就いていた時は関わりを持たず、すっかり忘れてしまいたかった。そう割り切った方が、神経を集中しやすかった。しかし、昔、友人だったTsugio Hattoriの消息が気がかりになり、インターネットで探している内に、ニューヨークに住んでいた彼は、46才で2人の息子と1人の奥さんを残して睡眠中に死んだという知らせを発見し、非常に深く悲しい思いがした。ニューヨークのギャラリーで発表した服部次夫の作品を探しているうちに、彼の絵の中にKAL007に関する印象と空想が織り込まれている事が気掛かりだった。さらにNHK特集で何度か放送された中沢建志(Nakazawa Takesi)の自画像、身近に見ていた者として誰かが、中沢について自発的に言わなければならないのではないか。大韓航空機撃墜事件とその乗員乗客はどうなったか。
Ref:Russian TV(RT)Russia close-up Sakha Republic(Yakutia/Oymyakon)

Nakazawa Takesi(50 ages) in Saha Republic(Yakutia/Oymyakon)    
REF:Nomadic life on reindeer land

Hattori Tsugio 28, Nakazawa Takesi 22 ages,1980/1982.12.28/Recent home of Nakazawa,1991-2005-

  1. 2008年12月中旬、日本カモシカ蝦夷鹿・トナカイの違いを調べるため、ロシア番組英語版SahaYakutia(サハ共和国)のReindeerというビデオをYouTubeで見ているうちに、中沢建志Takesi Nakazawaらしき人を偶然見つけた。似ている。似ているだけではないか?もし中沢であれば何故こんな所で生活しているのか?彼は大韓航空機撃墜事件で死んだはずではなかったか?最初は怪しくはっきりしなかった。
  2. 右手でバンドを固定しながらしゃがみ、左手で何かを拾うしぐさが中沢建志の動作と一致している。元々の先住民やロシア生まれの人であれば、このようなセーター姿で外を歩かない。私は、この番組画像から中沢建志に間違いないと言える特徴を探した。1.右側の頬の下に膨らみがあり、頬がわずかに白っぽい。2.眉毛の上が横一列に少し眉上隆起している。3.長髪ぎみの髪型は、韓国や中国人に少ないため、ますます中沢建志の髪型に近い。4.背丈と脚の動き、肩の張り方などが類似している。
  3. わずかに恥ずかしい気持ちを表す素振りと自意識の程度が全く同じ。
  4. 決定的な中沢建志の特徴は、右眉毛の形で、1982年に東京都新宿北京飯店で撮影した顔写真の右眉毛の形と一致している。
  5. 自由主義圏や温帯で育った人は、着ている服や毛皮にも過去の環境条件が表われている。ニューヨーク育ちか、東京育ちか、田舎育ちか、衣服と動作からある程度解析できる。このセーターをいつでも着用しているわけでは無い。撮影日の予定が組まれた時、意思表示として選択したのであれば、ますます怪しい。KAL007の乗客としてさりげなく伝えられる方法は、これ以外ないと考えた最後の方法だったのではないか?羊毛やアクリル繊維であればニュージーランドを思わせるので、元日本人という意図にも思える。中沢建志が着ているセーターは、27年前にニューヨークで買った韓国製品にも見える。さらによく見ると、他にも2人同じデザインのセーターを着ている。
  6. カメラを前にした時のわずかな反応に中沢建志の特徴が表れている。顔や姿だけだとよく似ている人だなあ。猫背ぎみだったが、背中の肩甲骨が特徴として気になる。火傷のカバーとして何かを着込んでいるようにも思える。半信半疑で見過ごしやすい彼の顔に貼ってある絆創膏や左側の厚手の湿布のようなカバーを拡大して見ると、KAL007の乗客の1人、中沢建志に間違いない。1983年から10年以上25年は経っている顔付きのようだ。少し変わったが、動作や顔形に彼の特徴が残っている。
  7. 上の画像を拡大して見ると、右側の頬と額、耳と鼻に肌色のガムテープのような絆創膏が貼ってあり、左側の見えない頬と額にも厚い銀色の湿布で固定されてある。左側の顔の大怪我は、凍傷かトナカイの角による最近の怪我かは解らない。飛行機内の窓際で、はね返った金属破片が刺さり、重症だったのではないか。
  8. 斧などで木を切り倒し、薪割りをする仕事は、体が熱くなるので熱中しやすい。中沢の両肩は、その作業によって鍛えられた感じがする。上半身が20才前後の時より逆三角形型に引き締まり、肩が張り、背中に筋肉が付いている。気温と自然環境に慣れるため、1985年までアムール川沿いの森林伐採、その後何年かモンゴル国境付近の東洋人居住区、バイカル湖付近の強制収容所、レナ川を下り、ヤクーツクで遊牧生活をしていたようだ。
  9. -50℃や-70℃の所で生きていられるなど信じられず、寒い季節は地下を掘っているとしか考えようがない。ロシア各地の寒い町には温水がパイプラインで配給されている。その温水を利用している室内作業か、地下道を掘るなどの仕事に切り替えているのではないかと思える。
  10. RT番組編集者たちは、「Yakutian indigenous population, who are mainly reindeer herders.ヤクート原住民、彼らは主にトナカイ遊牧民です」と、一般向けにその生活状況を解説している。地元の原住民(ヤクート人)としているのであれば、ラーゲリから既に開放されて、その周辺で条件付で生活している。正確には強制収容所外で、内では無い。もし強制収容所内であれば、遊牧民としてのテント生活ではなく、寮や宿舎になる。ロシアでヤクート人というのは、サハ・ヤクティア共和国の原住民、おもに黄色人種系の瞳や髪の毛の色が異なっている混血の人々を漠然と言っている。元中国・韓国・日本人の場合、瞳と髪の毛が黒い。原住民に同化するため、移民ということを隠し、黒髪を染めている人もいる。そのため白人系の人々から見ると、髪の毛や瞳が黒くても黄色人種系原住民は全てヤクート人として白人系ロシア人と識別している。エスニック・グループとは多民族団体、多人種共同体の意味。
  11. 中沢が住んでいる場所が、ヤクーツク郊外かオイミャコンか、解説ではその2つの居住地域が合成されている。共同生活であれば、周囲の山の形から場所がオイミャコンのようにも思える。ヤクーツクとオイミャコンの間は、車で3日かかると解説されている。直線で500km、道程1,000kmの場合、1日300km。氷道のため時速30kmで1日10時間走ると運がよければ3日目で到着する。冬季期間は、-50℃前後でエンストを起こしやすいので1台では危険な感じがする。
  12. 最も肝心な事は、ヤクート人には、ロシア政府が発行する身分証明書(国民健康保険者証や運転免許証)が無い。そのために土地を登記する時に必要な身分証明書を提出できず、ロシア政府から原住民、遊牧民扱いにされ、放置されている。
  13. 何がしかの身分証明書を発行してもらうには、戸籍抄本が必要となる。パスポートがなければ出身国を証明することができないので不法入国者と同じになるが、ロシアでは近代化を進めるための労働力が必要なため、それを黙認し、ラーゲリから開放された後は、古来からシベリアで生活していた遊牧民の部類に加えられている。旧制ロシア帝国の組織を考えると、旧社会システムの主要な枠組みが残されている。
  14. ヘリコプターの機種にミールとあるのは、旧ロシア帝国農奴制と農村共同体ミールをロシア国内の人であれば誰でも思い起こさせる。そのヘリコプターの機種は、ソフォーズ(国営農場)やコルフォーズ(公営農場)のような大規模農場の農薬撒き用と作物や荷物、人運び用に量産されたものかも知れない。レナ川の氾濫の時に軍隊が活躍し、爆弾の投下でレナ川の大氾濫を食い止めた時もあった。ロシアの場合、ヘリコプターは、氷結した湖や川、ツンドラ地帯であればどこにでも離着陸できる便利さがある。
  15. この当時のソ連は、宇宙ステーション・ミールが活躍中で、1986年2月19日から2001年3月26日まで続けられた。ロシア語のミールとは、平和な世界の意味。7つの宇宙船モジュールをドッキングすることにより、宇宙ステーションを組み立てていたが、1997年、船内火災やその後のスペクトル・モジュールのドッキングの失敗で空気漏れなどの事故が多発し、スクラップとなって地球上の海へ廃棄させられた。現在進展中の太陽電池をはじめとする電子機器に比較すると、コンピュータの性能や画像送信速度でさえ初期の時代で、フロンティアとしての可能性はあるが時代的に無理な所があった。宇宙船から送信される画像も年々改良されてきているので、他の重要な機器の性能が発展するまで待つ必要性があるように思える。その宇宙ステーションは、何のためにあったか。月や火星に宇宙船を送るための中継施設であった。他の国にはその成果が知らされていないが、ソ連では火星にマルス無人探査機を何回も送っている。
  16. 元都会育ちであれば、家賃・ガス・水道・電気・電話・市民税・県民税・国民健康保険などの支払いに追われなければならない現代文明の批判的な生き方に、次の世紀の人間社会を基本から考える上で哲学や社会学上で一理あると考えられる。
  17. 現在のパソコンは0℃から30℃までしか使用できず、-5℃の室内でCPUの動きが鈍くなり少し音をたてる。温帯用パソコンは、-30℃以下の所に放置すると20分以内に霜が着き壊れる。-37℃だと30分で眉毛と睫に霜が着き白く凍り、角膜上の水分も凍り始める。周辺機器を含む電子機器類は現在も発展中で、寿命が短く丈夫で長持ちしない欠点も今の所ある。
  18. ロシアでは土地が共有地で、職種により分け与えられることになっていたが、ロシア国内の土地の私的所有に関して、1985年頃からミハイル・ゴルバチョフによって提唱された「ペレストロイカ(再構築)」「グラスノスチ(情報公開)」、1991年ソ連崩壊後、ボリス・エリツィンによるロシア連邦共和国に変わったころから土地改革が行われつつある。2001年10月25日、ロシア連邦第136FZ号5条2項、土地基本法第15条第3項、「外国人・企業は、国境地帯の土地を購入・所有できない」。2002年7月24日、連邦法第101FZ号農地取引法第3条「又、外国人は農地を購入・所有できない。但し、賃借は可能」など、土地基本法の改革が行われている。土地を既に所有している国や他者から個人的に土地を購入した後は、土地売買に関する記録がロシア連邦国家土地台帳に記載されなければならない。各地域にある不動産業者や不動産登記院に登記法に基づく必要書類を提出し、(不動産)登記証明書を発行してもらうことによって購入した土地所有権を証明することができる。登記カテゴリーとしては、農地、畜産用地、工業用地、林業用地、企業用地、団地、宅地などがあり、登記後、後々登録したカテゴリーを変更することもできる。
  19. 外国人による土地の購入、登記方法は、民主主義国家の土地基本法と大体同じように国際化されつつある。日本の場合は、現在の所10万円未満の土地に地税はつかない事になっている。低価格不動産の場合は、ロシアの場合も区画面積が狭い場合、地税がつかない限界があると考えられる。外国人による土地の私有化が可能になると、大企業が進出し、大土地所有者と土地を持たない農奴(ミール=農村共同体/自治体)の貧富の差が激しくなるという旧制ロシア帝国の復活と弊害も生じてくる。現代史的には格差社会に歯止めをすべき具体的な処置がなされるべきに思える。
  20. シベリア・タイガ地帯の自然林は、ほとんどが国有林と言うことになるが、原住民のヤクート人という事でトナカイと同じように自然林として曖昧にしているところもある。遊牧民に何かを言える管理者は、オゾン層破壊の対策に関係している連邦自然林管理局に権限があり、ヤクート先住民の筋の通った主張がなければ、政策により、トナカイや森林伐採、漁獲が制限されたり、移動させられたりする場合も生じてくる。そのために原住民による自治体やコミュニティーが必要とされ、アメリカン・インディアンによる自治自治区と同じように変革されつつある。国際捕鯨問題もそうだが、特定された狩猟先住民以外は、トナカイも乱獲されないようにある程度規制され始めている。
  21. ロシアのTV局カメラマンが、「KAL007の乗客だった人たちではないか」と怪しく思いながら聞いたとしても、それには答えられない、さもなければミサイルの爆発と減圧、更に火傷で耳の穴がふさがり、音が聞こえない。横顔の画像を拡大して注意して見ると、耳の穴と瞼、口まで癒着しているように見える。細部が補間され略されていることもあるが、耳が聞こえず片目を失っている可能性もある。
  22. Su-15TMのミサイルが命中した時の金属破片は、背後のリクライニングシートで防げたと思えるが、後の通路と2列の休憩席を高温の爆発熱が通り、左側の窓際の隙間からその熱風が窓ガラス沿いにはね返ったのではないか。
  23. この画像を拡大して見ると、爆発の熱とその後の機内火事でやけどした横顔と確信できる。後ろを振り向いた瞬間、ミサイルが爆発したという事も考えられる。顎下の火傷から推測すると一瞬のうちに毛布と服に火が付き、全身火傷をしたようだ。
  24. 中沢の顔の左側は、熊のひとかきでやられた傷痕ではないか。レナ川にはカラフトマスやサーモンが上がる。サーモンが遡上する支流が近くにあれば、熊も増える。彼の顔の怪我は、その状態からだと熊しかない。ミサイルによる金属破片であれば腕や脚もやられ、火傷と霜焼け、最近の怪我などが重なっている場合もある。
  25. Reindeerの他のビデオを見るとトナカイの角で怪我をした方が、熊に襲われた怪我より近い。もし熊に襲われたのであれば、生きている確立は少ない。
  26. 髭が生えていないということは石鹸と剃刀がある。食器類、石鹸、剃刀、テント、斧、鉈、鋸、釘、ハンマーなどは配給物か。テント生活の場合は定住者ではない。猟銃は拾い物かなどの疑問がある。トイレ風呂洗濯小屋が共同であれば、テント生活で、ある程度の期間定住していることになる。
  27. -30℃まで下がった朝、凍死していたシベリア抑留者も多かったという戦中戦後の事実があり、睡眠中は交替で焚火番をするなどの工夫も考えられるが、-70℃の場合どうやって耐えているか想像がつかない。-50℃以下だと火は見えるだけで手をかざしても熱くなくなる。抑留者はドラム缶風呂で、お湯ではなく水だったという話など、現在もそうか疑問が多い。
  28. この番組の中で無線交信用手動発電機の機械音を何故付け足したか、理由など無かったかも知れない。通過時のジェット音は、そのように聞こえるという意味か、その表現意図が疑問に思える。


サハ共和国レナ川中流付近の航空写真上の円は、ヤクーツクから半径50km。

 中沢建志のテントは、竹のような竿を目印にしている。竿はbambooのようでもあり、釣竿のようでもある。その竿が気がかりだった。バン・ボーというミサイルの爆発と火炎の表音を駄洒落的日本語の視覚言語で表している。中沢というみよじであれば中国へ傾倒しやすい。トナカイが2頭というのは、トナカイだけでなくキャベツ・ジャガイモや魚なども主食にしているからかも知れない。沢があれば、季節に遡上するサーモンなどが大量に取れ、付近の氷室の中に冷凍保存している事が予想される。夏に沢の溜りの砂を掘ると自然金が見つかりやすい。もし食料に困らない自然環境であれば、強制的に出勤しなければならない都会の勤務先や通勤電車が良いか、自然環境がふさわしいか判断が難しくなる。判らなくなるというのは、自分が本当に帰国を望んでいるかという自問自答ではないか。寒い冬は、生死の限界ぎりぎりだが、何とか彼は生きてこられた。中沢本人は-50℃以下の寒さに耐えられる体質とは思えない。-30℃で涙も鼻水も睫毛も凍る。そのような極寒の自然環境に耐えられるか否かが大前提にある。あるいは炭火で炬燵を使用しているか、トナカイの毛皮を上下に敷き、同僚たちと雑魚寝か解っていない。


永久凍土地下室の氷の結晶     夏の道路は泥土とぬかるみで車も危険
 ヤクーツクの永久凍土の厚さが200m以内で、その凍土の上に建築物が建てられている町として知られている。冬の寒さと夏の暑さをしのぐため、地下室を造ると効果的かも知れないと考えがちだが、実際そうしてみると湿気や通気、保温などのため融けた水が溜まったり様々な問題が出てくる。しかし、平均気温-40℃の過酷な冬場をしのぐには永久凍土の地下を掘り、その中で暮らすしか方法は無い。煙突を地下室の暖炉用に大きく造れば不可能な話ではなくなる。野菜は夏の3ヶ月で成長し、雪の中で保存がきく、ジャガイモ、キャベツなどが考えられる他、大麦・小麦も産出されている事が知られている。永久凍土の下は石灰大地で、レナ川沿いに、その石灰岩が露呈している。ヤクーツクの気温は、最低−70℃、最高+40℃の記録がある。
 発電は、冬に川が凍るため水力も困難になる。薪による水蒸気発電の場合、いつか燃料切れになる。しかしその2つを季節によって交互に使用することもできる。-70℃に達すると金属は割れやすくなるので、風力の場合、多分壊れる。
 ヤクーツクの北を流れるレナ川の支流ヴィリュイ川にシベリア極東最大のカメソ・ナブロスナヤダム(長さ600m・高さ75m)とヴィリュイスカヤ水力発電所があり、ヤクーツクの電力はそこから引かれている。ヴィリュイ川付近の永久凍土の厚さは1500m前後。ヤクーツク付近の場合は、北東に休火山があり、その裾野の丘陵地帯は永久凍土の厚さが比較的ない。

 石灰岩塩基性でアルカリ質のため、鉄などは歳月が経つと錆びる。岩石学で言う超塩基性とは、強い塩基質のことで、水滴が皮膚に着くと皮膚表面がボロボロに腐敗し、目に入ると失明する。超塩基性橄欖岩地帯のダイヤモンド採掘現場で手堀りだと、皮膚がボロボロに剥げる。ブリキ缶は1日で穴が開き、のみやハンマーも即日錆びる。鉄板などは数日で穴が開き、最後に溶けて無くなる。岩手県南端は超塩基性岩石が多く、氷上山隣りの雷山山道で、穴が開いて溶けているブリキ缶を見た事があった。個人的には超塩基性変成岩地帯でジルコンなどの小さな結晶石を何度も見かけたことがあった。新しいダンプは、超塩基性土砂を積むと即日錆びる。長く続けるとダンプの荷台に穴が開くことも生じてくるので青いビニールシートを敷き、その上に積んでいる。しかし、それでもダンプの周りの仕切りが局所的に錆びたりする。


 大変な事は、極端な寒さでバッテリー溶液も凍り、蓄電できないことが発生する。寒くなれば寒くなるほ蓄電されている電力も弱まる欠点があるため、溶液の氷結温度と地下室の温度が問題になる。温帯や熱帯で使用されている一般的な車のバッテリーによる着火式エンジンの場合、-10℃あるいは-20℃まで下がると車や機械類のエンジンがかからなくなるなどの困難さが出てくる。軽油(石油の蒸留油)の凍結温度-10℃、ガソリンの凍結温度-50℃以下。ガソリンの引火点は−43℃。バッテリーの凍結温度-5℃〜-10℃。ヘリコプターやセスナ機用ケロシン燃料の融点が-30℃のため、-30℃以下の時期は飛べない。

  1. 樹木を切り倒した広場に薪と飲料水用の氷、番小屋があり、1週間に2回その氷が供給されている。「彼らにはシンプルフィロソフィーがある」と解説している年配のロシア女性は、ラーゲリの外国人捕虜であることを知っている。その意味は何か、少し疑問だったが、「野生のトナカイは、自然保護区として管理されており、先住民の限られた部族しか狩猟することができない。昔はモンゴロイド系外国人捕虜であったが、チュルク語などの先住民言語を日常的に使用し、トナカイを食料としているという意味も含まれている。トナカイ遊牧民は、ツングース語系エヴェンキ人で人口数の2%と少ない。英語を使用しないのは、孤児院ではなく生きるために幼い頃からロシア語や先住民言語で育ったということの背景に気づいている。
  2. ミハイル・ゴルバチョフは1987年頃からソ連国内の強制収容所の制限をゆるめ、未成年者・高齢者と反体制派を開放し、収容人数を半数まで減らしたという記事を読んだ事があった。ラーゲリの外で生活する多民族グループの遊牧民が増えたのは、その政策によるものではないか。この番組に登場する人たちは、他の国で育った文化的な背景の違いが感じられる。1986年4月チェルノブイリ原発事故が発生。その時期からグラスノスチ情報公開が提唱され始めた。
  3. 定住し始めた元KAL007乗客と北朝鮮からの移民が合流している。北朝鮮からの移住者は、サハリン州ユジノサハリンスクに何万人も定住している。人口数の少ないサハ共和国ヤクーツク付近に北朝鮮からの移民開拓者が来ていても不思議ではない。
  4. 定住者か移住者かの違いがテント生活に表れている。手振れの無いカメラから、KAL007を知らない世代の若手ロシアTVカメラマンが撮影し、地元のヤクーツクTV局とモスクワTV局で編集したものをWeb用にデジタル化したものと考えられる。
  5. ヤクーツクには、近年、北海道大学、北海道の酪農学園大学ヤクーツク大学の文化人類学者、民俗学者北朝鮮からの移民が来ている。ラーゲリの外国人捕虜の場合は、テント生活が特徴で、最初の場面の牧場と関係していない。食用にされているヤクート馬の牧畜とラーゲリのテント生活を合成し、最近の牧畜酪農移住者として曖昧にしている。外国人捕虜にある程度の収入があり、定住が可能であれば、個別に小屋を建てる事ができる。テント生活というのは収入の無い自給自足者で、そのように法律的に規制されているからに他ならない。戸籍や国籍が無ければパスポートを発行する事ができない。トナカイ遊牧民とは戸籍や国籍が無い状態に置かれている人々を総括的に漠然と言っているということになる。手順としては本人であることを確認した上で、政治的談判によって帰国できるように取り計らってもらうしか、まともな方法は無いのではないかと思える。ロシア側では帰国されると全てが漏れる事になる。
  6. ボリス・エリツィンは、1990年に「告発」、1994年「エリツィンの手記上・下」、2004年「ボリス・エリツィン最後の証言」を発表している。これらの題名の傾向から考えると、共和主義者であり個人主義を認めているということになる。


Takesi Nakazawa 22 ages,1980 中沢建志

  1. 「KAL-007生存者問題」は、内閣官房庁が担当している「北朝鮮による日本人拉致問題」と共通している所もあるため、首相官邸の政策意見として提出すべき内容か、確認してみる必要があります。そのために必要な文書や情報を訂正したり、問題を整理中です。
  2. KAL-007の生存者を発見した場合、具体的にどうすれば良いか。彼らにとって必要な物は、ルーブル紙幣です。
  3. 永住を希望する北朝鮮による拉致被害者、又はその配偶者の場合は、帰国費用と日本国内での滞在費、5年を限度として月々の拉致被害者等給付金(現在17万円)、拉致期間中の年金納付額などが日本政府によって保障され支給されます。
  4. 方法としては、国会審議により、「KAL-007生存者問題」を北朝鮮による日本人拉致被害者と同じように、帰国後の待遇を保障してもらうしかありません。しかし、その前にNakazawa Takesi本人か、Chun Byung-In本人か、現在も生存しているか、確認に行く必要があります。既に移動していたり、彼は2年前に死んだと言われることも無いわけではありません。大戦後のシベリア抑留者は、1年間に何度も移動させられ、極寒と栄養失調で全員死亡した強制収容所もあるそうです。現在も方法が同じであれば、発見できる可能性は、ほとんど無くなります。
  5. 「KAL-007生存者の釈放」その法律的手続きは、国会議員とこの事件の担当者がしなければならないことです。しかし乗員乗客の内、既に死亡している人々と生存者がはっきりしていず、事故後の生存者名簿はあったとしても、現在存命中の名簿は無いはずです。監獄、強制労働、抑留経験のあるアブラハム・シフリンの体験によれば、外国人捕虜は軍人も民間人も一緒で分散させて解らなくしているという事です。米国マクドナルド議員は、囚人番号3でした。
  6. 第二次世界大戦後の日本人捕虜は107万人と言われ、過酷な環境の強制労働のため戦後4年間で35万人が死亡したと推定されています。4年間で同僚の1/3は死ぬということです。政治的に交渉する場合、誰が何処で何人生存しているか、ロシア側で具体的にわからないため、KAL007の生き残り全員を帰すことが無理なようです。
  7. 順番としては被害者親族あるいは関係者が参議員か衆議員に事情を話し、最もな問題であれば、その議員秘書に「請願書」を作成してもらい、内閣の議題として調査費などの臨時経費を割いてもらうしかありません。
  8. 仕事の合間に調べたり整理している事なので時間がかかります。さらに、この事件について既に調査済みで解決している事々もあり、重複しないように確認する必要があります。稚内自衛隊による当時のレーダー記録の請願は、2010年1月ごろ見かけた事がありました。
  9. この事件の曖昧性は、第二次世界大戦後、帰国できなかった何十万人もの日本人捕虜と同じにされているということで、何十年も歳月を経るほど、本人の識別や身元がはっきりしなくなります。
  10. 直接 SAKHA YAKUTSK へ行って見る事も可能ですが、中沢建志本人を探し出せるかどうかは判りません。ラーゲリ内は通行許可証とロシア語通訳が必要とされます。
  11. もし、知人や親族でその行方を知りたい人がいるのであれば、国際司法検察権を持っている国際司法検察官の方が正確な情報が得られます。臨時の仕事として経費と依頼がなければ、具体的に始められないのは誰でもそうかもしれません。

 彼らの友人知人で時間とお金がある人は、確認のため自主的に捜しに出かけた方が早い。しかし、アブラハム・シフリンの調査レポートには「過去の自分の名前を覚えていない。部分的に記憶を消されている」ということもあり、その時にどうするかまで、少なくとも考えておく必要があります。


(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007/Several viewpoints from Japan side, 25 March 2010/-21 January 2011.