チュンビュインKAL007機長

Chun Byung-In KAL007機長


 サハ・ヤクティア共和国のレナ川には、シベリアチョウザメの他、カラフトマスやアメマス、キングサーモンが遡上している。ロシア人は、ウォッカを飲みながら天然冷凍保存されたサケやマスなどの魚を削り、魚も常食としている。レナ川のサーモンのサイズは2種類あり、40-70cmのカラフトマスと1.0-1.5m(60kg)にも達する大型キングサーモンも上がる。しかし、最近は大型サーモンが少なくなったと言われている。ヤクーツクYakutskは、1月に−55℃まで下がり、6月に平均気温15℃まで急上昇。大き目の蚊がレナ川や沼地付近で発生する。夏の3ヶ月間(6月7月8月の平均17℃、最低5℃、最高25℃、例外的に40℃)、船が行き来できるほど凍らないが、ヤクーツク郊外の舗装されていない道が泥沼化する。9月から雪が降り始め、冬場は氷の上を車で渡れる状態になるまで完全に凍結する。2008年のレナ川観光客によると、-45℃の真冬の暗いレナ川氷上で釣りをしていた人を見かけたという記事があった。ヤクーツクの真冬は、日中も夜のような状態になり、-45℃だと釣り上げた魚は、10秒20秒で見る間に凍り始める。サーモンは、川の中流や支流でも産卵するので、ダムなどの位置が上流であれば川の生物への影響は少ない。レナ川の両岸は、上流から下流まで厚さ200m以内の永久凍土、その下に石灰大地があり、石灰を削ったり溶かしながら流れている。


 Chun Byung-In and an ice hole for fishing on the river(Indigirks) of Oymyakon by Russian TV
 ロシア人の服装(正装)をしている人がChun Byung-In。この画像から彼は右利きということが判る。場所はヤクーツクから約500km(道程1,000km)東のオイミャコンのインディガークス川沿い。何度か緊急にパイロットの仕事の依頼があった背景的な感じがする。ロシアの場合は、悲観の極致に外国人捕虜の現実があり、戦後のシベリア抑留から65年、大韓航空機撃墜事件から27年の歳月が経ち、方法や待遇が少しは改善されたかもしれない。しかし、あまり変わっていないと見た方が現実に近い。27年前、生存者が200名近くいたとしても分散され、凍死や老死で現在は100名にも満たない事が予想される。KAL-007機長Chun Byung-Inは、1983年に45才だった。2010年の現在、72才と高齢のため、臨時職から既にはずされ、年金など全く無い境遇に置かれている。
 眉毛、目鼻立ちと鼻の下のわずかな長さ、上唇の力の入り方や歪み方、肩幅の狭さ、身長と姿などがKAL-007の機長Chun Byung-In(千炳寅)と一致している。機長Chun Byung-Inの顔の特徴は、本人左側の目が鼻元に近い。左目の寄り方がまったく同じ。ロシア風の服装のためか、27年前より少し面長で若く見える。20年以上経つと両親の身体的違いから顔形が変わる人もいる。機長Chun Byung-Inの場合は、ベトナム系韓国系の特徴が混ざり、左目と笑窪の位置、口端の窪みの角度にも特徴が現れている。彼の特徴が全部一致しているのでChun Byung-Inに間違いない。黒人ひとりひとりの違いを識別しづらいように、白人でその身体的特徴が著しい人は、痩せ型の黄色人種の顔の特徴を識別しづらい。ロシアTVカメラマンも、中国人、北朝鮮人、韓国人、日本人が最初はほとんど同じに見えるため、先住民と同じように無頓着なのかも知れない。このあたりに住んでいる人たちは毛皮を使用せず、服が違っているので、国外からの移住者や最近の社会的動向として撮影したのではないかということが伺える。
 1840年代にヤクーツクを探検したロシアの歴史家A.F.Middendorfによると、水銀温度計が-38.8℃以下で凝固し、硬い金属となり、鉄を叩くとガラスのように鋭く割れる。夏の猛暑日は、蚊やブユの大群に人が襲われる。ヤクートとは「無人」という意味で、音は寒くなれば寒くなるほど伝わりやすくなり、靴音などは見えない遠距離から聞き取れるようになる。樹木も凍り、樹木が割れる音がするというような知られていない怪現象が記されている。
 ヤクーツクまでの旅費は往復約10万円。1週間の宿泊などを混ぜると、15万円以内で現在は行くことができる。しかし冬は平均-40℃、-70℃を超えた記録もある。-40℃で機械類や精密機器は、10分以内で霜が着き使えなくなる。山の形が場所の目印になっているが広大な地形のため車でなければ危険。ヤクーツク北東100km遠方に聳えている連山は休火山で、高さ2,000m近い。山頂付近のオレンジ色の所は、溶岩として流れた出た酸化第二鉄(赤鉄鉱)。ヤクーツクからちょうど南に位置する溶岩による一枚岩(橄欖岩)がレナ川の背後に見える。半球体の溶岩の塊である南側の山は、単独に吹き出た形状をしている。粘性がほとんど無く高温のため薄く堆積しながら盛り上がった。石灰岩岩盤の場合、層が厚くても薄くても角ばって砕けるため、背景の山のように丸くはならない。しかしキンバーライトかどうかは、その山の付近を調べないと解らない。ヤクーツクに住んでいる人であれば、高温の溶岩による一枚岩ということを知っている人もいる。
もし、バイカル湖付近の強制収容所で、しばらくの間労働をしていたのであれば、真冬にバイカル湖を横断しようとした強行軍で、子供や女性を含めた25万人の人々が-70℃の湖上の途中で凍死した冬将軍の話を聞いた事があるに違いない。-70℃の外気だと、どのような事をしても、どのような人でも完全に凍結する。


オイミャコンは、ヤクーツクから約500km(道程1,000km)東方、オホーツク北方約400kmの山間にあり、人口800人ほどの小さな村で、温水や凍らない水が流れる川Indigirksの南岸(インディギルカ川西2km)にある。最低気温-71.2℃を記録し、ギネスブックに登録されている。


Oymyakon,Sakha Yakutia,Russia by Google Map


 Chun Byung-Inの居る場所は、ヤクーツクTV局か地元新聞社に尋ねた方が時間がかからず確かかも知れない。KAL-007機長Chun Byung-Inの顔は、左下の顔写真が新聞などで一般的に公表されているため、ロシアやアメリカでは左上の人がChun Byung-Inという事が解っていない。希に僅かな人たちが知っていたとしても、仕事外の事々に関係しなければならなくなるので見放されている。


  1. モスクワとサハ共和国ヤクーツク(YAKUTSK)を背景にアナウンサーが解説しているこのロシア番組には、KAL007の乗客だった人たちが、他にも何人かいる。27年前の乗客の子供たちは、孤児院と学校でロシア語と英語で教育を受け、国籍や住民権、ロシア国内の資格をいくつか持っている。しかし乗客の成人以上は、孤独な労働と電気の無い生活を強いられ、仕事上の行き場が、先住民や開拓民として言語的にも同化するしかなかったのかも知れない。
  2. サハ・ヤクティア共和国(自治区)は、ロシアで最も面積があり、人口数が最も少ないうちのひとつで、サハの冬の気温は、ほぼ-70℃まで下がると解説されてある。しかし太陽が沈まない夏は、+30℃まで上がる地域もあり、夏と冬の寒暖の差が激しい。
  3. モスクワTV局のアナウンサーは「非常に面白い伝統的なライフ・スタイル」 と、ヤクーツクTV局のアナウンサーは、「彼らはアイデンティティーとプライドが高い」と解説している。この中に、元KAL007の乗客だった人たちと捕虜が混ざっているということについては関与していない。元ニューヨークに滞在していた旅行客たちという事をこのアナウンサーの世代は全く知らず、彼らがどこから来たか気づいていないことになる。ラーゲリ内の外国人捕虜ということにも触れていない。「ロシアで最も大きな共和国だが、もっとも人口が少ないうちのひとつ」と、最近の移住者や開拓民の生活状況を解説している。南サハリンの地元漁民による噂話以外は、モスクワ国内でさえ、「KAL007の乗員乗客269名は全員死亡。生存者がいなかった事件」とテレビや新聞で報道されている。
  4. この生活環境は、ロシア語で「ラーゲリ」と言われている反体制側(自由主義国)の捕虜によるキャンプ生活で、強制収容所内に他ならない。ロシアのラーゲリでは、家族生活や出産も可能だが、政治的に利用されたり、強制労働に駆り出される時もある。このビデオに元KAL007の乗員乗客が撮影されているのであれば、いまだに捕虜扱いで差別されているという事になる。生活状態は換金性のあるものが、トナカイの角、毛皮、肉などで、実際には収入など全く無い自給自足の状態にさせられている。一見するとホームレスのような自由なライフスタイルに置き換えられているが、生活費などの収入は無い。私有地ではないため、小屋や家を建てることもできず、建築物は全て建設許可が必要とされている。公共施設などの建設のための強制労働期間中は、若干の食事や生活必需品などが配給されている。しかし労働賃金は支払われていない。ラーゲリと言われている広範囲な強制収容所エリアの自給自足生活のため、テントや無線機器なども27年以上前の廃棄物が使用されている。
  5. これが何年前の番組を再編集したか肝心な事が表示されていない。ロシア国内の時効年数が20年か25年であれば、2003年か2008年に撮影され、放送局にこの事件の行方についてある程度知っている管理者が局内にいる可能性もある。KAL007生き残りの乗員乗客は、書類上でいまだに「戦時下外国人捕虜」扱いで、その後、結果的に訂正されていないということになる。なぜ、訂正されていないかは、国連常任理事国による国際司法裁判でソビエト連邦が全面的に悪いというアメリカ合衆国側の敗訴(3対2)によって、ロシアの正当性あるいは妥当性が公けにされたため、この事件の処置に関して変更がなされていない。
  6. ロシアで水葬(日本では不許可)が法律的に許可されているのであれば、広範囲なラーゲリ内で凍死などで亡くなった同僚は、どのように処置されているか。火葬、埋葬、水葬等、最悪の場合、湖の底に石を繋げて沈め、淡水生物や魚の餌にしていることも十分に考えられる。
  7. 大韓航空に対しての賠償請求は、ある程度解決したアメリカ合衆国の親族関係者もいる。しかし、いまだに解決されていない他の国々の親族関係者が残され、KAL007便の生存者存命に関しては、証拠不十分、未解決、書類と報道で「生存者はいない」「269名全員死亡」のままで訂正されずに放置されている。
  8. 社会主義国では底辺の労働力を強制収容所の囚人や捕虜、反政府労働者に依存している。このビデオからは、KAL007乗員乗客の生き残りは捕虜として扱われ、ラーゲリ内で自給自足の生活を強いられているということになる。
  9. 元々は、「大韓航空機によるソ連領空侵犯」、ソコル防空軍基地司令官アナトリ・コルヌコフとSu-15TM迎撃戦闘機のミサイルを発射した空軍少佐ゲンナジー・オシポビッチによる「スパイ機か民間機か」の誤認事件で、ゲンナジー・オシポビッチの「スパイ機説」の後、「民間機に便乗したスパイミッション説」を訂正せずに「撃墜」を正当と見なし、反証となる証拠を隠したため、関係のない乗員乗客まで巻き添えをくらい、KAL007の生き残りが外国人捕虜として不当に扱われるに至った。その確認がなされていず放置されている事に問題性がある。
  10. 民間機で死亡した乗員乗客の身元と死体などの証拠が確認された場合、加害者は「業務上過失致死傷罪」となる。どちらに過失があったかは、この事件の場合どちらにもある。韓国の場合は、9人の韓国人遺体の一部が第三者国によって発見されているので、その中でも身元が確認された何人か以外、死亡確認が無理な乗員乗客の親族は不起訴となりやすい。しかしKAL007に乗り、乗客リストに名前がある場合、死亡あるいは行方不明となった乗客乗員の親族には、業務上過失致死傷などの起訴、この事件に関わるロシア政府とKGB関係者に対し、誘拐・拉致事件容疑として公訴の権利などがある。大韓航空の会社に対するアメリカ合衆国内の訴訟問題で、米国の乗客遺族に対しては既に解決済みの人たちもいる。

※最も注意しなければならないのは、彼にルーブル紙幣を渡す時、他の知人のために「移動しないことを約束する」配慮が必要です。1985年ごろ、1ヶ月の公務員給料が200-250ルーブル(800-1000円)でした。ヤクーツク郊外であれば、5-50万円で家が建ちそうですが、物によって値段が異なるようです。(宿泊は安く、ディナーやシャーマニズムのお払いなどが1万円と高い) 2008年は、200ルーブル1000円で貨幣価値は変化せず、物価が上がり、所得や給料、年金などが変化しているようです。公務員の年金が1ヶ月(又は1年)1万五千円。ロシア人への土産品はウォッカが喜ばれるなど土産物に注意すべきかも知れません。


(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007/Several viewpoints from Japan side, 11 March 2010.