チュンビュインKAL007機長(30)


 Chun Byung-In and the river of Oymyakon by Russian TV
①ロシア番組Reindeerのオイミャコン(2004年頃撮影編集)
②ロシア番組Reindeerのオイミャコン(2004年頃撮影編集)
③民間人捕虜の強制労働Ⅱ(1985~1990年頃撮影)
④民間人捕虜の強制労働Ⅰ(1984~1990年頃撮影)
 ロシア連邦サハ・ヤクティア共和国のレナ川には、シベリアチョウザメの他、カラフトマスやアメマス、キングサーモンが遡上している。ロシア人は、ウォッカを飲みながら天然冷凍保存されたサケやマスなどの魚を削り、魚も常食としている。レナ川のサーモンのサイズは2種類あり、40-70cmのカラフトマスと1.0-1.5m(60kg)にも達する大型キングサーモンも上がる。しかし、最近は大型サーモンが少なくなったと言われている。ヤクーツクYakutskは、1月に−55℃まで下がり、6月に平均気温15℃まで急上昇。大き目の蚊がレナ川や沼地付近で発生する。夏の3ヶ月間(6月7月8月の平均17℃、最低5℃、最高25℃、例外的に40℃)、船が行き来できるほど凍らないが、ヤクーツク郊外の舗装されていない道が泥沼化する。9月から雪が降り始め、冬場は氷の上を車で渡れる状態になるまで完全に凍結する。2008年のレナ川観光客によると、-45℃の真冬の暗いレナ川氷上で釣りをしていた人を見かけたという記事があった。ヤクーツクの真冬は、日中も夜のような状態になり、-45℃だと釣り上げた魚は、10秒20秒で見る間に凍り始める。サーモンは、川の中流や支流でも産卵するので、ダムなどの位置が上流であれば川の生物への影響は少ない。ダムや車道、学校や公共施設などは、民間人捕虜の人たちが建てたのかも知れない。

オイミャコンの気象観測所
 場所はヤクーツクから約500km(道程1,000km)東のオイミャコンのインディギルカ川沿い。最近はリカがつくように変名され、リカ・インディギルカと命名されている。オイミャコンの南側周辺に、たくさんの凍らない沼や湖があり、何故凍らないかまだ解明されていない。200m下の地面が暖かく、凍土が溶けて地下水が流れているのかも知れないが、はっきりと観測されていない。

不凍の水の源泉 お湯では無いので5~10℃前後?
ロシアの場合は、悲観の極致に外国人捕虜の現実があり、戦後のシベリア抑留から65年、大韓航空機撃墜事件から20年の歳月が経ち、方法や待遇が少しは改善されたかもしれない。しかし、あまり変わっていないと見た方が現実に近い。20年前、生存者が200名近くいたとしても分散され、凍死や老死で現在は50名にも満たない事が予想される。KAL-007機長Chun Byung-Inは、1983年に45才だった。2003年で65才と高齢(2024年で86才)のため、年金など全く無い境遇に置かれている。
 眉毛、目鼻立ちと鼻の下のわずかな長さ、上唇の力の入り方や歪み方、肩幅の狭さ、身長と姿などがKAL-007の機長Chun Byung-In(千炳寅)と一致している。機長Chun Byung-Inの顔の特徴は、本人左側の目が鼻元に近い。左目の寄り方がまったく同じ。ロシア風の服装のためか、20年前より少し面長で若く見える。20年以上経つと両親の身体的違いから顔形が変わる人もいる。機長Chun Byung-Inの場合は、ベトナム系韓国系の特徴が混ざり、左目と笑窪の位置、口端の窪みの角度にも特徴が現れている。彼の特徴が全部一致しているのでChun Byung-Inに間違いない。黒人ひとりひとりの違いを識別しづらいように、白人でその身体的特徴が著しい人は、痩せ型の黄色人種の顔の特徴を識別しづらい。ロシアTVカメラマンも、中国人、北朝鮮人、韓国人、日本人が最初はほとんど同じに見えるため、先住民と同じように無頓着なのかも知れない。このあたりに住んでいる人たちは毛皮を使用せず、服が違っているので、国外からの移住者や最近の社会的動向として撮影したのではないかということが伺える。
 1840年代にヤクーツクを探検したロシアの歴史家A.F.Middendorfによると、水銀温度計が-38.8℃以下で凝固し、硬い金属となり、鉄を叩くとガラスのように鋭く割れる。夏の猛暑日は、蚊やブユの大群に人が襲われる。ヤクートとは「無人」という意味で、音は寒くなれば寒くなるほど伝わりやすくなり、靴音などは見えない遠距離から聞き取れるようになる。樹木も凍り、樹木が割れる音がするというような知られていない怪現象が記されている。
 ヤクーツクまでの旅費は往復約10万円。1週間の宿泊などを混ぜると、15万円以内で現在は行くことができる。しかし冬は平均-40℃、-70℃を超えた記録もある。-40℃で機械類や精密機器は、10分以内で霜が着き使えなくなる。山の形が場所の目印になっているが広大な地形のため車でなければ危険。ヤクーツク北東100km遠方に聳えている連山は休火山で、高さ2,000m近い。山頂付近のオレンジ色の所は、溶岩として流れた出た酸化第二鉄。ヤクーツクからちょうど南に位置する一枚岩がレナ川の背後に見える。
バイカル湖付近の強制収容所で、しばらくの間労働をしていたのであれば、真冬にバイカル湖を横断しようとした強行軍で、子供や女性を含めた25万人の人々が-70℃の湖上の途中で凍死した冬将軍の話を聞いた事があるに違いない。-70℃の外気だと、どのような事をしても、どのような人でも完全に凍結する。


オイミャコンは、ヤクーツクから約500km(道程1,000km)東方、オホーツク北方約400kmの山間にあり、人口500~800人ほどの村で、凍らない水が流れる川リカ・インディギルカの南岸にある。最低気温-71.2℃を記録し、ギネスブックに登録されている。

Oymyakon,Sakha Yakutia,Russia by Google Map
 オイミャコンという地名は、「川が凍結しない場所」エヴェン語で「不凍の水」と言う意味がある。南東105km離れているトムトル(Tomtop)には、空港と気象観測所が町の南西にあり、滑走路と気象観測所は囚人によって造られたと言われている。トムトルは人口数がオイミャコンの2倍で1500人ほど、スパーマーケットがある町になりつつある。オイミャコンやトムトルだけでなく、隔絶された小さな村々は、元収容所だったようだ。オイミャコンの南西120kmのユチュゲイには、トナカイ牧畜民たちが存続していると言われている。
 オイミャコンは、山々に囲まれた盆地で、冬場は冷気が溜まり寒さが-60℃まで下がる。山の方が10℃~20℃暖かいと言われている。民宿やホテル等の宿泊施設は、まだ無い。2010~2015年、リカ・インディギルカ川の河川敷にセスナ機が飛来しているので空港を造る計画があるのかも知れない。そのセスナ機は、ソフトランディングだった。旅客用ヘリコプターの発着場所は、村の外れに既に造られている(2020年頃)。

インディギルカ川の中州(又は河川敷)に着地するセスナ機2010年頃

KAL-007機長Chun Byung-Inの顔は、左下の顔写真が新聞などで一般的に公表されているため、ロシアやアメリカでは左上の人がChun Byung-Inという事が解っていない。希に僅かな人たちが知っていたとしても、仕事外の事々に関係しなければならなくなるので見放されている。

  1. サハ・ヤクティア共和国(自治区)は、ロシアで最も面積があり、人口数が最も少ないうちのひとつで、サハの冬の気温は、ほぼ-70℃まで下がると解説されてある。しかし太陽が沈まない夏は、+30℃まで上がる地域もあり、夏と冬の寒暖の差が激しい。
  2. モスクワTV局のアナウンサーは「非常に面白い伝統的なライフ・スタイル」 と、ヤクーツクTV局のアナウンサーは、「彼らはアイデンティティーとプライドが高い」と解説している。この中に、元KAL007の乗客だった人たちと捕虜が混ざっているということについては関与していない。元ニューヨークに滞在していた旅行客たちという事をこのアナウンサーの世代は全く知らず、彼らがどこから来たか気づいていないことになる。ラーゲリ内の外国人捕虜ということにも触れていない。「ロシアで最も大きな共和国だが、もっとも人口が少ないうちのひとつ」と、最近の移住者や開拓民の生活状況を解説している。南サハリンの地元漁民による噂話以外は、モスクワ国内でさえ、「KAL007の乗員乗客269名は全員死亡。生存者がいなかった事件」とテレビや新聞で報道されている。
  3. この生活環境は、ロシア語で「ラーゲリ」と言われている反体制側(自由主義国)の捕虜によるキャンプ生活です。ロシアのラーゲリでは、家族生活や出産も可能だが、政治的に利用されたり、強制労働に駆り出される時もある。このビデオに元KAL007の乗員乗客が撮影されているのであれば、いまだに捕虜扱いで差別されているという事になる。生活状態は換金性のあるものが、トナカイの角、毛皮、肉などで、実際には収入など全く無い自給自足の状態にさせられている。一見するとホームレスのような自由なライフスタイルに置き換えられているが、生活費などの収入は無い。私有地ではないため、小屋や家を建てることもできず、建築物は全て建設許可が必要とされている。公共施設などの建設のための強制労働期間中は、若干の食事や生活必需品などが配給されている。しかし労働賃金は支払われていない。ラーゲリと言われている広範囲な強制収容所エリアの自給自足生活のため、テントや無線機器なども27年以上前の廃棄物が使用されている。
  4. これが何年前の番組を再編集したか肝心な事が表示されていない。ロシア国内の時効年数が20年であれば、2003年に撮影され、放送局にこの事件の行方についてある程度知っている管理者が局内にいる可能性もある。KAL007生き残りの乗員乗客は、書類上でいまだに「戦時下外国人捕虜」扱いで、その後、結果的に訂正されていないということになる。なぜ、訂正されていないかは、国連常任理事国による国際司法裁判でソビエト連邦が全面的に悪いというアメリカ合衆国側の敗訴(3対2)によって、ロシアの正当性あるいは妥当性が公けにされたため、この事件の処置に関して変更がなされていない。
  5. 大韓航空に対しての賠償請求は、ある程度解決したアメリカ合衆国の親族関係者もいる。しかし、いまだに解決されていない他の国々の親族関係者が残され、KAL007便の生存者存命に関しては、証拠不十分、未解決、書類と報道で「生存者はいない」「269名全員死亡」のままで訂正されずに放置されている。
  6. 元々は、「大韓航空機によるソ連領空侵犯」、ソコル防空軍基地司令官アナトリ・コルヌコフとSu-15TM迎撃戦闘機のミサイルを発射した空軍少佐ゲンナジー・オシポビッチによる「スパイ機か民間機か」の誤認事件で、ゲンナジー・オシポビッチの「スパイ機説」の後、「民間機に便乗したスパイミッション説」を訂正せずに「撃墜」を正当と見なし、反証となる証拠を隠したため、関係のない乗員乗客まで巻き添えをくらい、KAL007の生き残りが外国人捕虜として不当に扱われるに至った。その確認がなされていず放置されている事に問題性がある。

※ 遺族の方や関係者の方は、左下の[コメントを書く]をクリックして、感想や相談等を入力してお知らせください。入力ミスの場合、ご自分で消去・修正ができます。

(C)Junpei Satoh/The truth of Korean Air Lines Flight 007, 11 March 2010-2024-