阿久津省一(Shoichi Akutsu 1956〜)

阿久津省一(Shoichi Akutsu 1956〜) 斎藤長三教授の批評を聞く阿久津省一1979年 東京都内東大和市に阿久津が住んでいた頃、1987年から黒い犬(フラットコーテッド・レトリバー)の世話をし始めた。その犬は、元の主人がどこへ行ったか諦めている様子だった…

中沢建志Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1)

中沢建志Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1) 24 才, 1982年12月28日 中沢建志は、1958年、神奈川県で生まれた。彼は、16才から東京池袋のすいどーばた美術学院夜間部に通っていた。東京芸術大学を受験するため、そこで木炭デッサンや油彩画を学んだ。中沢は実…

Takesi Nakazawa(1958-1983.9.1) 24 ages, 28 December 1982 Takesi Nakazawa was born in Kanagawa prefecture of Japan, 1958. He went to the night coarse of Suidobata Fine Arts Academy in Shimoochiai of Ikebukuro from 16 years old. And he lea…

東横美術研究所長の変死 3

Charcoal dessin of Venus by Junpei Satoh,1990 その所長が住んでいたマンションに「キルケゴールの言葉」大谷愛人(おおたにひでひと)訳、彌生書房発行があったかどうかまでは知らないが、1969年(昭和44年)の初版が手元にある。現在、その本を部分的に…

東横美術研究所長の変死 2

その研究所の生徒数が1976年度から激減した事により、地代や職員の給料が払えなくなったという理由が、その所長の自殺の原因だったと考える事が最も近い。銀行で貸してくれなかったか、銀行から借りてまで研究所を維持したくなかったか。加藤勝久氏でさえ判…

東横美術研究所長の変死 1

服部次夫(Tsugio Hattori)の話方や気質に、以前の東横美術研究所長の面影が僅かに偲ばれるので、その所長は鹿児島県出身ではないかと、最近になって思い出す事がある。どちらも既に死去しているが共通なある種の気質があった。そのニュアンスをうまく言い…

KAL007便生存者存命の可能性(50)

1.大韓航空機撃墜事件の概略 ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行き大韓航空機KAL007は、1983年8月31日JST9月1日未明、ソ連領空侵犯後、南サハリン上空高度10,668m(35,000フィート)を通過し、モネロン島ソ連領空から脱した中立地帯でSu-15TMのミサイ…