2009-01-01から1年間の記事一覧

東横美術研究所長の変死 3

Charcoal dessin of Venus by Junpei Satoh,1990 その所長が住んでいたマンションに「キルケゴールの言葉」大谷愛人(おおたにひでひと)訳、彌生書房発行があったかどうかまでは知らないが、1969年(昭和44年)の初版が手元にある。現在、その本を部分的に…

東横美術研究所長の変死 2

その研究所の生徒数が1976年度から激減した事により、地代や職員の給料が払えなくなったという理由が、その所長の自殺の原因だったと考える事が最も近い。銀行で貸してくれなかったか、銀行から借りてまで研究所を維持したくなかったか。加藤勝久氏でさえ判…

東横美術研究所長の変死 1

服部次夫(Tsugio Hattori)の話方や気質に、以前の東横美術研究所長の面影が僅かに偲ばれるので、その所長は鹿児島県出身ではないかと、最近になって思い出す事がある。どちらも既に死去しているが共通なある種の気質があった。そのニュアンスをうまく言い…